司教団主義とは? わかりやすく解説

司教団主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 10:46 UTC 版)

第2バチカン公会議」の記事における「司教団主義」の解説

1964年9月15日第3会期冒頭、スタッファ大司教公会議議会第6節57に基づき70人の教父たちを代表して発言求めた受理されなかった。 9月21日から9月29日まで、本文一句節ずつ表決付された。結果賛成1624票、条件付き賛成572票(placet juxta modum)、反対42となった11月7日、スタッファ大司教パウロ6世宛てた手紙発言申請不受理9月15日)につき手上の妨害であり、司教団主義の命題という「極端な形式」の利益のためにローマ・カトリック神学沈黙させようとしたと告発した(スタッファ作戦 Operation Staffa)。 その間35人の枢機卿と5人の大修道会総長らは、パウロ6世宛てた10月18日付けメモ書き革新的な教えに関する憂慮」を表明し草案曖昧多義性持ち公会議後に極めて恣意的解釈される危険性があることの指摘、また考察のため休憩時間熟考期間を設けるよう要請した草案多義性危険性を含むとは信じがたいパウロ6世動かず代わりにスタッファと同調する神学者たちの名前を列挙するよう求めた挙げられ3人の名前を聞くと、いずれも自らが高く評価する人々であり、パウロ6世うろたえたその時極端にリベラルな教父文章化し公会議後に曖昧な文章解釈する方便綴った書面パウロ6世の手元に届き欺かれたと悟った教皇涙したという。そこで教皇国務長官を介してオッタヴィアーニに、司教団草案諸点表現をもっと正確に述べるように求めた。これが「予備解説的注釈」(Nota explicativa praevia) である。 11月14日予備解説的注釈教父らに示された。この注釈草案含まれ内容の意味変える変えないかで議論起こった。第123総会初日11月16日から、リベラルな教父たちが「暗黒1週間」と呼ぶ週が始まった同日告知で、公会議事務総長ペリクレ・フェリチ大司教から論争終らせるため、次の発表がされる。 「教会草案第3章対す修正意見次の解説的注釈付け、あらかじめ最高権威(教皇)から教父たちに伝えられた。第3章教えはこの注釈意向と意味にしたがい説明し理解されなければならない。 この注釈は『教会憲章』の一部組み込まれることになる。

※この「司教団主義」の解説は、「第2バチカン公会議」の解説の一部です。
「司教団主義」を含む「第2バチカン公会議」の記事については、「第2バチカン公会議」の概要を参照ください。

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