司教叙任とアリウス論争、そしてニカイア公会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 03:53 UTC 版)
「エウセビオス」の記事における「司教叙任とアリウス論争、そしてニカイア公会議」の解説
314年頃、エウセビオスはカエサレアの司教になったが、彼の前任者がアガピウスであったかどうかは不明である。318年にアリウス論争が起こると、エウセビウスはアリウス派に同情的な姿勢を取っていたが、それはアリウスを破門したアレクサンドリア司教アレクサンドロスの主張にサベリオス的異端の疑いをかけていたからで、積極的にアリウス派を支持していたわけではないらしい。既にして、324年ごろからエウセビオスは、その教養と著述家としての名声によってコンスタンティヌス帝の寵愛を受けるようになった。325年のニカイア公会議では、彼は皇帝からカエサレア教会の信条を提出するよう命じられたので、318人の出席者全員の前で読み上げた。しかし、最終的にはこのカエサレア信条に反アリウス主義的文言を付けくわえたニカイア信条が採択されることとなった。エウセビオスは本心からこれに賛成していたわけではなかったが、最終的には署名してこれに同意した。
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