司令部と管区の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/07 16:06 UTC 版)
司令部・司令官は管区の警備・防衛を担うとともに、徴兵、後備役・予備役の将兵の召集と部隊編成、後には学校での教練、地域住民との交流をも業務とした。区割り変更の移行期間など特別な事情がある場合には一時的に隣の管区を管轄することもあった。 原則としてすべての管区は一人の司令官が管掌するが、部隊の司令官のすべてが管区を掌るわけではない。 まず、大隊区と連隊区を管掌するのはそれぞれ大隊区司令官(大隊区司令部)・連隊区司令官(連隊区司令部)で、部隊を率いる大隊長(大隊本部)や連隊長(連隊司令部)ではない。 それから、師団と師管の関係は、はじめは師団司令部が師管を管掌する表裏一体の関係であったが、時代が下ると対応関係が緩み、最後の師管区制にいたってまったく関係がなくなった。師団制のはじめ、つまり陸軍管区表制定の当初には、近衛師団を例外として、常備師団はすべて一つの師管を持ち、師管はすべて一つの常備師団に管掌されるという一対一の対応関係があった。この師団が戦争でみずからの師管の外に出ると、残された師管には留守師団が置かれた。徴兵・訓練を続行し、出征部隊に補充を送り、新設の部隊を編成して送り出すのが留守師団の任務である。戦時に臨時に作られる師団は、既存の師管から動員・編成されるので、管掌する師管を持たない。 1915年(大正4年)に朝鮮を衛戍地とする2個師団を置いたとき、徴兵制をとらない朝鮮には師管を設けなかった。こうして師管を持たない常設の師団が生まれた。ただし、朝鮮の師団にも法定されないだけで警備や地域向け業務の担当区域はあった。 その後、日中戦争がはじまった1937年(昭和12年)以降には、師団が多数増設された。それらは臨時のものも常設を予定したものも、既設の師管から動員され、自らの管区を持たなかった。また、新たに設けられた戦車師団、飛行師団など歩兵以外の兵科の師団も管区を持たなかった。こうして、師管を持つ少数の師団と、持たない多数の師団という違いが生まれた。師管を持つ師団も多くは内地を離れ、実際の業務は留守師団が行っていた。こうした変化を受けて、1942年(昭和17年)に連隊区と特定の歩兵連隊との対応関係をなくし、1府県に1連隊区を置くことにした。1945年(昭和20年)4月には、留守師団を師管区部隊と改称し、作戦部隊と管区業務はまったく分離されることになったのである。
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