師団と師管
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師管は同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第12師団の兵士は第12師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第12師管から徴兵された兵士は第12師団に入るのが原則であったが、これにはいくつか例外がある。まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。また、朝鮮、台湾の植民地に常駐する部隊にも内地の師管が兵卒が送られた。時には、人口が少ない師管にある師団にも融通された。一例として1921年(大正10年)に第12師管で徴集する兵卒の配分計画を見ると、第12師団に6044人、朝鮮の第20師団に1094人、近衛師団に62人が現役兵として配分されることになっていた。 師管はまた国内治安維持、外国の侵攻に対して出動する師団の担任地域でもある。第12師管は海上交通の要地である関門海峡を管区に抱え、1903年からは対馬の防衛も任務とした。
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師団と師管
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師団制の師管は同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第18師団の兵士は第18師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第18師管から徴兵された兵士は第18師団に入るのが原則であった。が、これにはいくつか例外がある。まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。また、全国の師管は植民地にいる部隊にも分担して兵卒を送っており、第18師管には台湾守備隊など台湾の部隊への配分があった。年によっては他師団への融通もあった。一例として1921年(大正10年)に第18師管で徴集する兵卒の配分計画をみると、第18師団に4692人、台湾に235人、第12師団の砲兵隊に126人、近衛師団に62人を配分することになっていた。
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師団と師管
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師団制の師管は同じ番号の師団のための徴兵と密接に結びついており、第16師団の兵士は第16師管に戸籍を持つ男子から徴集された。また、第16師管から徴兵された兵士は第16師団に入るのが原則であった。が、これにはいくつか例外がある。まず、独自の師管を持たない近衛師団には、全国の師管から兵士が送られた。また、全国の師管は植民地にいる部隊にも分担して兵卒を送っていた。例として1921年(大正10年)をとりあげると、この年に徴集される現役兵は、第16師団に5425人、近衛師団に108人、台湾守備隊に87人を配分する計画であった。 師管はまた、管轄する師団が治安維持と防衛に出動すべき責任範囲でもあったが、当時外国軍隊が第16師管に上陸攻撃を行う可能性はほとんどなかった。
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