史資料論とは? わかりやすく解説

史資料論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 23:40 UTC 版)

マリ帝国」の記事における「史資料論」の解説

サハラ以南のアフリカ諸地域について一般的に言えることではあるが、中世マリに関する歴史叙述裏付ける資料となる史料は、北アフリカヨーロッパ比べると、少ない。 最重要史資料が、モロッコエジプトなどの北アフリカアラブ人ベルベル人書き残したアラビア語文献である。まず、アブー・ウバイド・バクリー1014年頃生 - 1094年)は11世紀サハラ以南西アフリカについて、そこを訪れた商人からの伝聞という間接的な手段によってではあるが、いくつかの情報書き残している:82-83。イドリースィー12世紀サハラ以南西アフリカについて、断片的な情報残している:103最盛期マリには多数アラブ人ベルベル人旅行者として訪れマリに関する記録アラビア語書き残したまた、マリ人巡礼等の目的北アフリカヒジャーズ地方訪れたため、エジプトなどに彼らが語ったことの記録残っている。このようなアラビア語文献としては、イブン・ファドルッラー・ウマリー(英語版)、イブン・バットゥータイブン・ハルドゥーンマクリーズィーらが書いた歴史書があり、これらに依拠する1315世紀マリ大まかな歴史の流れがわかる。イブン・バットゥータ1304年-1368年)は、1352年2月から1353年12月までサーヘル地帯周遊した。彼の旅行記リフラ』は唯一無二であり、マリ王国歴史全体に関して最も重要である。イブン・バットゥータマリ首都に8ヶ月間にわたり滞在し町の構造に関する貴重な情報残している。しかし彼の旅行記からは判然としない部分数多くあることも同時に旅行記を読むとわかり、歴史叙述の上興味深い点がある。イブン・ハルドゥーン1332年-1406年)は『イバルの書』にマリのことを記載するために、カイロまで行ってさまざまな情報収集したマリ人その子孫書き残した文字資料皆無というわけではなく、トンブクトゥガオには中世西アフリカ社会内部から見たマリの歴史書いた年代記(ターリーフ)が残されている。アブドゥッラフマーン・サアーディー(フランス語版)が書いた16世紀の『ターリーフ・スーダーン(フランス語版)』とマフムード・カアティ(フランス語版)が書いた17世紀の『ターリーフ・ファッターシュ(フランス語版)』が利用できる。ただし、どちらもソンガイ帝国歴史遡って叙述することに主眼があるので、マリ王国歴史にはあまり多く叙述量を割いていない。 さらに中世マリ史の場合は、上記文献資料のほかに利用できる史料として、「グリオ」と呼ばれる吟遊詩人による口承伝統oral tradition)が存在する点が特徴である。グリオ民族歴史過去の王族の事跡語り伝える職能カーストであり、その記憶内容特定の家系相伝される。口承伝統利用することで、マリの歴史外部からではなく内部から知ることができる。 さらに発掘調査による出土資料重要な史料となりうると言われている。

※この「史資料論」の解説は、「マリ帝国」の解説の一部です。
「史資料論」を含む「マリ帝国」の記事については、「マリ帝国」の概要を参照ください。

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