史跡「旧豊宮崎文庫」とは? わかりやすく解説

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史跡「旧豊宮崎文庫」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/20 06:42 UTC 版)

豊宮崎文庫」の記事における「史跡「旧豊宮崎文庫」」の解説

豊宮崎文庫跡は近世教育学に関する文庫遺跡として重要であるという理由から史跡指定され、指定当時書庫他の建物残っていたが、戦後20世紀中半)に土地所有者建物破壊したために西面する本瓦葺き表門三間棟門)とその左右に伸びる築地塀一部若干石碑お屋根桜(やねざくら)の原木が残るのみとなり、また、敷地一部分割売却したために文庫としての本来の規模も明らかではなくなった。なお、現在の史跡範囲面積は3,263.10平方メートルで、その大半伊勢市により公有化されている。 現存する石碑には津藩藩士高橋知周が文庫設立経緯刻んだ創立碑(文政10(1827)年2月建碑)や、幕末三筆の一である巻菱湖の手になる孝経碑(天保8(1837)年7月建碑)、松尾芭蕉句碑がある。 お屋根桜文庫落成当時出口延佳邸の屋上生えた移植したことから名付けられたと伝えで、盛時は高2丈(およそ6米)幹周5尺(およそ1.5米)余りにも及び、宝暦年中18世紀中半)に朽損したが、移植して存続図り寛政時にはそのが高1丈余りに育っていたという。昭和3年1928年)に山桜新品種であると発表されたものの姿を消し一時絶滅したものとも考えられたが、同53年1978年になって4生存確認され、同61年7月3日伊勢市天然記念物指定された。

※この「史跡「旧豊宮崎文庫」」の解説は、「豊宮崎文庫」の解説の一部です。
「史跡「旧豊宮崎文庫」」を含む「豊宮崎文庫」の記事については、「豊宮崎文庫」の概要を参照ください。

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