史跡「旧豊宮崎文庫」
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豊宮崎文庫跡は近世の教育学芸に関する文庫遺跡として重要であるという理由から史跡指定され、指定当時は書庫他の建物が残っていたが、戦後(20世紀中半)に土地所有者が建物を破壊したために西面する本瓦葺きの表門(三間棟門)とその左右に伸びる築地塀の一部、若干の石碑、お屋根桜(やねざくら)の原木が残るのみとなり、また、敷地の一部を分割売却したために文庫としての本来の規模も明らかではなくなった。なお、現在の史跡の範囲面積は3,263.10平方メートルで、その大半が伊勢市により公有化されている。 現存する石碑には津藩藩士高橋知周が文庫設立の経緯を刻んだ創立碑(文政10(1827)年2月建碑)や、幕末三筆の一である巻菱湖の手になる孝経碑(天保8(1837)年7月建碑)、松尾芭蕉句碑がある。 お屋根桜は文庫落成当時に出口延佳邸の屋上に生えた桜を移植したことから名付けられたと伝える桜で、盛時は高2丈(およそ6米)幹周5尺(およそ1.5米)余りにも及び、宝暦年中(18世紀中半)に朽損したが、蘖を移植して存続を図り、寛政時にはその蘖が高1丈余りに育っていたという。昭和3年(1928年)に山桜の新品種であると発表されたものの姿を消し、一時は絶滅したものとも考えられたが、同53年(1978年)になって4株の生存が確認され、同61年7月3日に伊勢市の天然記念物に指定された。
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