台湾競馬協会時代(1931年-1937年)
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台湾各地で発足した各競馬団体はおおよそ同じような定款を定め、また互いに協定して連絡を取り合っていた。台湾の各競馬団体は1931年(昭和6年)に上部団体として台湾競馬協会を組織して台湾における競馬規則を定めた。規約の主な点は台湾の各競馬団体は春・秋に各4日間、一日に12レース以内を限度として競馬を行い、競走は駈足(普通の競馬)、速足、障碍競走の3種とし、駈足競走は1400メートル以上、速足競走は2400メートル以上、障碍競走は2500メートル以上で争う。登録や登録料、馬体検査やハンデキャップ、審判、賞金などの細目を定め、馬券は一人1レースに付き1枚を限度として買うことが出来、未成年や関係者は買うことが出来ない。入場券に添付されている投票券を窓口に差し出すことで馬券は買え、当たり馬券の払い戻し限度は10倍までで銭単位は切り捨て、当たり馬券は現金ではなく、指定された商店のみ使える景品券(商品券)で払い戻す、景品券の引き換えには3-7日間の有効期間がありそれを過ぎると無効になる。といった規則であった。 1932年(昭和7年)春には台北で従来の単勝式馬券に加えて複勝式馬券の発売を開始し、同年秋からは各地の競馬場でも単/複の発売を開始した。 馬券の金額は1枚1円だが、1937昭和12年の台北競馬だけは1枚2円になっている。 この時期の台湾競馬は各競馬場が春秋各4日間(2週にわたって各土日)開催され、春競馬が2月から5月、秋競馬は9月から12月に行われている(年によっては多少前後することもある)。 1938年(昭和13年)1月、台湾の各競馬場の経営は各州の州畜産組合連合に移された。
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