台湾競馬の馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:10 UTC 版)
台湾にはもともとは馬がほとんどいなかったため、初期の台湾競馬の競走馬はすべて日本内地からの移入馬で乗馬クラブの馬や荷馬が出場していた。建前としての競馬の目的は馬産奨励と馬の改良なので騸馬は好ましくないとはされていたが、なにしろ牡馬牝馬の絶対数が少ないので、台湾競馬では騸馬も多数走っていた。1932年(昭和7年)頃からは老齢馬や競走向きではない馬は減少し、ようやく競馬らしい競馬を行えるようになったという。1937年(昭和12年)でも競走馬は日本内地産で馬の品種はサラ系(サラブレッドを主とする混血)やアラブ系を少数見ることが出来るが、大半は馬種を特定できない雑種である。1943年(昭和18年)になっても台湾の競走馬は日本内地産馬の移入に頼っている。1943年(昭和18年)春の競馬の成績をみても、1800-2000メートルのレースで千葉県の中山競馬場のタイムと台北競馬場のタイムでは10秒違い、台湾競馬の関係者は台湾で一流とされている馬でも内地に行けば三流であると嘆いている。
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