台湾競馬の終焉(1944年)
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「台湾の競馬」の記事における「台湾競馬の終焉(1944年)」の解説
台湾競馬は1944年(昭和19年)2月まで開催されている。 太平洋戦争の開戦により、台湾では戦費をまかなう為に様々な税金が上げられたが、1943年(昭和18年)、馬券税だけは馬産奨励のために逆に引き下げられている。 未曾有の大戦争で、新聞や雑誌では戦争に関する記事が紙面の大半を占め、競馬記事が掲載されることは極めて少なくなったが、1943年(昭和18年)の雑誌『台湾畜産会会報』ではいくつかの号にわずかながら競馬欄があり競馬が開催されていたことがわかる。1943年(昭和18年)4月1日には「昭和17年秋シーズン競馬の優秀騎手と馬丁の表彰式」が高雄競馬場で行われ、台湾各地の競馬場は昭和18年にも春・秋の2シーズンに各7日間(主に土日)競馬を開催している。台湾日日新報昭和19年1月26日付にも昭和18年秋シーズン最後の競馬として昭和19年2月開催の高雄競馬の記事が載っているが、少なくとも昭和18年度中は台湾競馬は戦争前と大きくは変わらずに開催されていることが当時の新聞雑誌(『台湾畜産会会報』や台湾日日新報の断片的な記事から)で確認できる。昭和19年2月18日付台湾日日新聞には翌日から開催する高雄競馬の広告が載っている。1944年(昭和19年)4月には馬産奨励法が施行され、競馬に代わって台湾総督府直轄で馬の能力検定や調教鍛錬が行われることになった。
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