台北競馬場
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台北では1928年(昭和3年)に市内圓山グラウンドに1周400メートル幅13メートルの馬場を作り台湾初の競馬が開催された。1930年(昭和5年)春にも同グランドで1周550メートルで行われ、1930年(昭和5年)秋からは陸軍練兵場(現・青年公園)を借りて1周800メートル、後に拡大され1000メートルの馬場を作って競馬を行った。1934年(昭和9年)には新店渓北側に1周1000メートルの常設競馬場である川端競馬場を作り(新店渓川上の水道町と川端町の境になるので水道町競馬場とも水道町川端競馬場とも言う)競馬を行った。1939年(昭和14年)北投に新競馬場を作ることが決まり(現・国防大学政治作戦学院)、1940年(昭和15年)からは北投競馬場で競馬は行われている。1940年(昭和15年)10月26日に落成した北投競馬場は1周1800メートルの馬場を持ち、日中戦争中ということもあって施設は木造で作られたが馬見所(メインスタンド)や投票所、厩舎など施設にはすべて上屋を整備し降雨や日差しを避けて競馬が楽しめるようになっていた。競馬期間中は台湾鉄道も臨時列車を運行したという. 主催者は1928年(昭和3年)の競馬は台北武徳会馬術部、1930年(昭和5年)からは台北馬事協会、1937年(昭和12年)からは台北州畜産組合連合、1941年の北投競馬は台北州畜産会主催で行われている。
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