台北清真寺の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 13:45 UTC 版)
詳細は「台北清真寺#歴史」を参照 当初、台湾に移ったムスリムは中古の日本式家屋などを礼拝所に用いていたが、ムスリムが増えるにしたがってモスク(清真寺)の必要性が生じた。しかし中国回教協会の財政状況は芳しくなく、中古の日本家屋をモスクとするのがやっとだった。理事長の白崇禧は政府にモスク建設を訴え、当時の外交部長(外務大臣)であった葉公超の支援を得て1949年12月12日に「台北清真寺建設委員会」が設立された。台湾政府はイスラーム世界とより深い関係を築くためにモスク建設を強力に支援し、外交部からは建設資金600万元が与えられた。 協会は1958年に台北市の土地を購入し、彼らの活動拠点となる台北清真寺の建設に取り掛かった。地元のムスリムの寄付のほか、ヨルダンやイランからの資金援助、外交部を介した台湾銀行からの融資もあり、1960年4月に台北清真寺が完成し、協会の本部を清真寺内に置いた。その資金援助の内訳としては、ヨルダンとイランから150,000ドル、台湾銀行から10,0000ドルである。また、台湾に移り住んだ回族の故郷である寧夏回族自治区からも寄付があった。清真寺の完成記念式典では国民政府の副総統である陳誠が式辞を述べ、日本やオーストラリア、タイ、マレーシアなどの政治指導者や宗教指導者が招待された。台北モスクにはその後、イランのシャーであるモハンマド・レザー・パフラヴィーやヨルダン国王フセイン1世、ニジェールの元大統領アマニ・ディオリ、そしてサウジアラビアの国王ファイサル2世などイスラーム諸国の元首らが訪れた。 1990年、中国回教協会が台北モスクの建設のために購入した土地の元所有者が、土地の所有権を求め訴訟を起こした。裁判では協会側が全面勝訴したが、元所有者の死後、登記上の地権者であった彼の子供たちが土地をセメント会社に売却。1997年に名義の変更手続きが完了し、そのセメント会社が台北清真寺に立ち退きを要求する事件が起きた。1999年に劉文雄ら国会議員、外交部の西アジア局長、内政部の史跡科長らが集まって立法院で開かれた公聴会「清真寺的未来」において、協会はモスク取り壊しの中止を陳情した。協会並びに台湾のムスリムの主張はそのまま台湾メディアによって代弁され、同1999年3月29日、台北清真寺は築わずか30年ながら台北市の文化財である「市級古蹟」に認定され、取り壊しを免れた。
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