台湾統治への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 01:37 UTC 版)
羅福星の蜂起の後、1915年の西来庵独立蜂起などが起こったが、1920年までには漢民族主体の抗日武力闘争は完全に粉砕されることになった。理由としては台湾総督府側との絶対的な戦力差、そして清朝を引き継いだ中華民国も台湾を見捨てる政策を取り続けたことなどが挙げられている。台湾漢民族の殆どは物理的にも精神的にも植民地統治に屈服することとなり、屈辱感を味わいながらも『帝国臣民』として生きる道を選ばざるを得なくなった。一方総督府側も台湾人が統治に屈服し受容したことを歓迎し、露骨な弾圧は控えるようになったため以後の台湾人による運動は議会開設運動や自治請願などにとどまり、先住民の抵抗運動を除けば終戦まで平穏な情勢が続いた。羅福星を初めとする抗日運動の指導者達の記憶は台湾人の心に深く刻まれ、植民統治に服しつつも猶台湾人が自尊心を失わなかった一因となったのも事実である。
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