台湾総督府による初期理蕃政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 02:58 UTC 版)
「理蕃政策」の記事における「台湾総督府による初期理蕃政策」の解説
1894年(明治27年)の日清戦争の結果1895年(明治28年)下関条約の締結を経て台湾は日本に清朝より割譲されたが、台湾に居住していた住民は台湾民主国を樹立して頑強にこれに抵抗した。明治国家にしてみれば、予想外に激烈であったため、初代台湾総督樺山資紀から第4代の児玉源太郎までの期間は、台湾北部と西部を中心とする漢民族が居住する「平地」の軍事的制圧と治安維持に専念せざるを得なかった。漢民族が集中する「平地」で、支配領域を拡大するための戦闘行為を続ける一方で、先住民族を敵に回す愚を避けたのである。
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