古代エジプト・メソポタミア・ギリシア
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「星座」の記事における「古代エジプト・メソポタミア・ギリシア」の解説
古代エジプトの遺跡で、星の並びを人などに見立てた図が発見されている。この星座は総称してデカン(英語版)と呼ばれ、一年を360日として10日ごとの区画に割る指標として用いられていた。しかし、一部を除いて同定されていないものが多く、現在も研究が続けられている(エジプト天文学(英語版))。これが記録に残る最古の星座である。なお、現在の88星座に直接結びついてはいない。星同士を結んで星座を作る風習がのちにメソポタミア文明に伝わり(バビロニア天文学(英語版))、ここで現在の星座の原型ができたと考えられる。ただし、エジプトとは独立して、別個に星座を作ったという可能性もある。 最初に決められた星座は、黄道十二星座である。物的な証拠は残っていない。しかし、メソポタミア文明以前から住み着いていた羊飼いによって設定されたという説がある。ヒツジ、ヤギ、ウシといった家畜がすべてこの黄道十二星座に含まれているのが間接的な証拠とされるが、羊飼いが設定した星座は12個ではなかった可能性もある。ただし、欧米ではこの「羊飼い説」はその資料を探すのも困難で、物的資料からも星座の起源は紀元前5世紀ごろとされて久しい。日本でのみ羊飼い説が信じられている。しかし、最近の関連図書ではようやく紀元前5世紀が正しいとするものも出てきた。 これらの黄道の星座はメソポタミア文明に取り入れられ、西洋占星術の基礎となった。メソポタミアのムル・アピン(英語版)粘土板(紀元前6世紀、写しは大英博物館蔵)には、黄道十二星座を含め66の星座のリストが存在し、メソポタミアの神に基づくエンリルの道、アヌの道、エアの道に大別される。これらは古代エジプトを通じて古代ギリシアに伝わり、ギリシア人たちは自分たちの神話体系にこれを取り入れるとともに、自分たちでもさらに新しい星座を設定した。ギリシア人が設定した星座にはみな神話がついている。 古代ギリシアでの星座への言及でもっとも古いものは、紀元前9世紀のホメロスの二大叙事詩『イーリアス』『オデュッセイア』で、星座名としてはおおぐま座、オリオン座、うしかい座が登場した。 紀元前4世紀の天文学者エウドクソスは、現代につながる44星座を決定したとされるが、その著書は残っていない。かわりに紀元前3世紀の小アジア生まれのマケドニアの詩人アラトスがこの44星座を詩にし、これが残っている。プレアデスとヒュアデスの2星団を星座にしているほかは、ほぼ現行のものが使われていた。 現代につながる49星座の設定者は紀元前2世紀の天文学者ヒッパルコスで、アラトスのものに修正を加え、現在にすべてつながる46星座を決定した。この後、トレミーの48星座とかみのけ座を合わせた全49星座を決定したという説もあるが、その著書は残っていない。 紀元2世紀、クラウディオス・プトレマイオスがトレミーの48星座を決定した。彼はかみのけ座を認めなかった。この48星座を決定した者はヒッパルコスだという主張もあるが、著書の残るプトレマイオスの名をとり、今でもこれらの星座は「トレミーの48星座」と呼ばれ続けている。なお、トレミーはプトレマイオスの英語読みである。これは長く標準となり、16世紀までは変更が加えられることはなかった。
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