現在の星座(IAU方式)
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現在の88星座の原型となったのは、アメリカの天文学者エドワード・ピッカリングが1908年に刊行した『ハーバード改訂光度カタログ (Harvard Revised Photometry Catalogue)』である。この星表では、北天はフリードリヒ・ヴィルヘルム・アルゲランダーの『アルゲランダー星図 (Uranometria Nova)』(1843年)やそれを改訂したエドゥアルト・ハイスの『Atlas Coelestis Novus』(1872年)、南天はベンジャミン・グールドの『Uranometria Argentina』(1877 - 1879年)で使用された星座を引用していた。20世紀初頭に標準参照されたこの星表で使われた星座がほぼそのまま採用されることとなる。 1922年にIAUの第1回総会がローマで開催された際、全天の星座は88個とされ、同時にその名称が承認された。名称と合わせて、デンマークのアイナー・ヘルツシュプルングとアメリカのヘンリー・ノリス・ラッセルの提案により、アルファベット3文字で表記する略号も定められた。またこのとき、ベルギーのウジェーヌ・デルポルトとカスティールズは、北天の星座に対して赤道座標の経線と緯線に平行な円弧で境界線を設けることを提案した。これは、グールドが南天の星座に対して境界線を定めたのと同じ手法であった。IAUは、1925年にケンブリッジで開催されたIAU総会で「星座の科学的表記」の分科会を設立し、デルポルトに赤緯-12.5°以北の天球上の境界線を策定するよう要請した。デルポルトはグールドと同じく1875.0分点を基準とした境界線の案を1925年10月から1927年9月にかけて策定してIAUに提出し、この案が1928年にライデンで開催された第3回IAU総会で承認された。IAUは、北天と同じく南天の星座の境界線も定めるように要請、これを受けたデルポルトはグールドの定めた境界線のうち斜めに線が引かれたものを修正し、なおかつ1つの恒星も所属する星座が変わらないように境界線の改訂案を策定した。この案がIAUで承認され、1930年にケンブリッジ大学出版会から『Délimitation Scientifique des Constellations』と『Atlas Céleste』という2つの出版物として刊行されたことにより、現在の88の星座の境界線も確定された。このようにして、各星座の名称と領域が厳密に決められたことによって、あらゆる太陽系外の天体は必ずどれか1つの星座に属することとなった。 現在の88星座は、「トレミーの48星座」をベースに、近世に考案された新たな星座を加えることで成立したが、採用されなかった星座も数多くある。たとえば、ジェローム・ラランドが考案した「しぶんぎ座」は、現在はうしかい座やりゅう座の一部とされている。これにちなんでりゅう座ι星近辺を輻射点とする流星群には正式に「しぶんぎ座流星群 (Quadrantids)」の名がつけられている。
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