古代の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 10:15 UTC 版)
紀元前5世紀から6世紀頃にはバビロンや中国で石造の桁橋が架けられていた。紀元前4000年頃のメソポタミア文明では石造アーチ橋が架けられている。紀元前2200年頃、バビロンではユーフラテス川に長さ 200 m のレンガ橋が架けられた。アーチ橋の架橋技術は、古代メソポタミア地方で発祥した技術が、東西に伝播して西洋と東洋それぞれ独自に発展したとする研究が発表されている。 ローマ時代に道路網の整備に伴い各地に橋が架けられ、架橋技術は大きく進歩した。現存する水道橋は驚くべき精度を持っている。ローマ教皇は英語で「ポープ」と呼ばれるが、この「Pope」の正式名称である「最高司教:Pontifex maximus」の前半部は「橋:Ponti」と「つくる:fex」から成り立っている。この名前が示すように、古代ローマ時代には橋を架けることは聖職者の仕事であった。中国や日本でも橋は仏教僧侶が架けることが多かった。 日本での記録に残っている最古の橋は、『日本書紀』によると景行天皇の時代に現在の大牟田市にあった「御木のさ小橋」(みきのさおはし)である。巨大な倒木による丸木橋とされている(ただし大きさに誇張がある。詳細は巨樹#伝説上の巨樹を参照)。人工の橋では同じく『日本書紀』によると324年(仁徳天皇14年)に現在の大阪市に猪甘津橋(いかいつのはし)が架けられたのが最古とされている。また、624年(推古天皇32年)に道昭が京都の宇治川に宇治橋を、726年(神亀3年)には行基が山崎橋を架けるなど、古くは僧侶が橋を架けたことが知られている。これは僧侶が遣隋使や遣唐使として中国に渡り技術を学んできたことや、救済の一環として土木事業を指導したことによる。一方、当時の律令政府は勢多橋などの畿内の要所を例外とすれば、橋の築造には消極的であった。『日本紀略』の延暦20年(801年)5月甲戌条には、河川に橋がないことで庸の搬送が困難な場合には、その度に舟橋を架けるように命じている。
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