古い形式による新しい音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/05 14:20 UTC 版)
「組曲第1番 (チャイコフスキー)」の記事における「古い形式による新しい音楽」の解説
交響曲第4番の仕事に疲れ果てていたチャイコフスキーは、翌1878年の夏までに交響的音楽から離れる必要があると決意を固めていた。しかしながら、心理的負担の大きい音楽の作曲を見合わせるにあたって『ロココの主題による変奏曲』を書いていた時のようには自らの個性を否定したくないと考えた。その代わりとして、『ロココ変奏曲』で示したような優美さと均衡を自分自身の作曲語法の内に再現しようと思い立つ。組曲という形式は、彼自身が後に『くるみ割り人形組曲』で行ったように規模の大きな楽曲からの抜粋としても成立するが、歴史的にはそれ自身で独立した楽曲形式であった。それはとりわけヨハン・ゼバスティアン・バッハが管弦楽、鍵盤楽器、その他の楽器のために作曲したバロック時代の組曲に当てはまる。こうした組曲はアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグなど主に当時の舞曲によって構成されていた。 チャイコフスキーの作品の中で音楽によって告白する作曲者という構図から遠く離れた楽曲は、管弦楽組曲の他にはわずかしか存在しないが、組曲は彼が呼び起こしたいと願ったロマン派以前の理想にそっくり忠実なものとなった。それらはバッハの管弦楽組曲の再発見に続いてドイツで起こった潮流の派生物であり、作曲者はこの様式の形式的な自由さ、そして縛られることない音楽的幻想に価値を見出していた。この形であれば彼は小品や管弦楽法に関する強い拘りを思うがままにすることができたのである。ヨハネス・ブラームスが幸福にも同様のはけ口として見出すことになったのはセレナードであった。それはかつてポスト・ベートーヴェンの交響曲に許された以上にリラックスしながら純管弦楽曲を書ける手段であった。 組曲第1番はバレエのディヴェルティメントに根差している。聞こえ方があからさまに軽く、つまらないものという印象を与えないよう、チャイコフスキーは開始部の序奏とフーガにいくらかの高尚さを与えた。以前にも規模の大きなフガートを書いてはいたものの、サンクトペテルブルク音楽院を離れて以来本格的なフーガは作品21のピアノ曲で用いたのみであった。さらに曲から幅広い様式や雰囲気が感じられるようにする一方、全体としては確実に一貫した満足感のある体験となるようにせねばならなかった。これによって曲の長さが第4交響曲と同程度となってしまうという困難が持ち上がり、曲を1年以内に仕上げることができなくなってしまったのであった。
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