口宣案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 20:01 UTC 版)
口宣案(くぜんあん)とは、元来は口宣の案文であり、覚書(メモ)の下書き程度の意味合いでしかなかったが、後には太政官を経由せずに直接受任者(実務担当者や被任命者)に勅旨の内容を伝えるために用いられた。従って、天皇の意思を太政官に宣下という形で伝達する機能を持つ口宣と、宣下の事実を受任者に伝える機能を持つ口宣案では、内容は同じでもその機能・様式は異なっていた。 鎌倉時代までに様々な正規のルートを通さない命令を発するための公文書が作成されたが、人事に関する命令は詔書・太政官符・位記などの正規の公文書の発給手続が守られてきた。これは治天の君が人事権を行使する場合でも同じであり、天皇の命令という体裁を取り、更に太政官に伝えられてそこから実務担当者に命令が届くという複雑な手続を要した。これに対して後嵯峨院政の頃から実際の人事権者である治天の君の人事決定を迅速に人事担当者に伝える必要性から、治天の君(天皇親政の場合は天皇)の命令を受けた職事蔵人が、口宣を上卿に渡す前にあらかじめ下書きを名目としてもう1通案文を口宣と全く同じ様に作成して、この案文に口宣を出した治天の君の院宣(あるいは天皇の綸旨)を添えて受任者に渡すことで、正式な公文書が到来するまでの仮の証文とした。口宣案が直接受任者に渡されるようになりその重要性が高まるとともに、更に口宣を奉じた職事蔵人の署名の記載など、同人の真筆であることが必要要件とされるようになった。 口宣案は、口宣正文と区別するために端裏に「口宣案」の3文字(端裏銘)と最初の行の右上に「銘」と呼ばれる口宣を渡した上卿の氏名(上卿銘)を付記した上で渡された(ただし、初期のものにはそれを満たしていない口宣案もあり、両者が備わるようになるのは鎌倉時代後期のことである)。本来は口宣案が担当者に渡された後に、全く同じ内容の命令が太政官から担当者に宣下される手筈となっていたが、後には実際の発給までに時間がかかる太政官での宣下手続が省略されて文書の発給よりも歴名などの記録をするための手続となり、口宣案をもって正式な命令証書(公験)とみなされるようになった。 時代が下るにつれて口宣案も公文書の書式に近いものになっていき、南北朝時代には書体が行書体から真書体に変わり、江戸時代になると太政官発給の公文書に書式となっていった。
※この「口宣案」の解説は、「口宣」の解説の一部です。
「口宣案」を含む「口宣」の記事については、「口宣」の概要を参照ください。
「口宣案」の例文・使い方・用例・文例
- 口宣案のページへのリンク