原本玉篇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 04:08 UTC 版)
543年に顧野王によって編纂された元々の『玉篇』のことを、とくに原本玉篇と呼ぶ。 全30巻。部首の数は『説文解字』540部とほぼ等しい542部で、「一」部にはじまり「亥」に終わる点も『説文』と同じだが、途中の配列順は異なり、類書風に同類の部首をまとめるなど、検索の便宜をはかった独自の工夫が見られる。たとえば巻九は口で行う動作に関する「言・曰・音・告・欠・食」などが集められている(ただし「口」自体は巻五)。 親字は『説文解字』と異なり楷書で記し、16,917字を収録している。語釈はまず字の読みを反切によって示し、諸書から大量の引用を行い、さらに顧野王自身の考えを「野王案」として示すこともある。さらに異体字があるときはそれを羅列して、それらがどの部首にあるかを記している。この膨大な説明は『説文解字』の極端に短い説明と対照的である。 原本玉篇は中国では滅んでしまい、日本にいくつか残巻が残る。これらの残巻は国宝になっている。現存するテキストは巻八・九・十八・十九・二十二・二十四・二十七の一部で、親字は全部あわせて約2,100字であり、全体の約12%にあたる。これ以外に敦煌からも唐写本玉篇残巻が発見されている。 空海が編纂したといわれる『篆隷万象名義』は、篆書部分を除いて親字の配列が原本玉篇残巻と一致し、説明も玉篇から抜き出したもので、これによって原本玉篇の全体像をある程度知ることができる。 清末に日本に残る書籍を収集した黎庶昌・楊守敬らによって出版された『古逸叢書』に原本玉篇が含まれ、中国でも広く知られるようになったが『古逸叢書』本は原本の影印ではなく模写によっているために問題が多い。中華民国にはいると羅振玉が新たに『原本玉篇残巻』を影印出版した。 日本では1930年代に東方文化学院から影印本が出版されている。
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