原子炉の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 17:11 UTC 版)
「アルビン・ワインバーグ」の記事における「原子炉の開発」の解説
航空機用原子力推進(ANP)プロジェクトは、ORNLの予算の25%を使ったORNL最大のプロジェクトだった。ANPプロジェクトの軍事的目標は、当時のジェット機の航続距離の限界を克服するために、原子力航空機(爆撃機)を製造することであった。このプロジェクトが成功する可能性がほとんどないことは認識されていたが、このプロジェクトにより、雇用がもたらされ、ORNLが原子炉開発事業を続けることができた。ORNLは、1954年に世界初の溶融塩燃料・冷却型原子炉である航空機用原子炉実験装置(ARE)を完成させ、航空機用原子炉の原型を製作・運転することに成功し、運転温度の最高記録を更新した。墜落時に乗務員や地上の人々に放射線障害の危険があること、弾道ミサイル技術の発展、空中給油の開発、ジェット爆撃機の長距離化などの理由から、ケネディ大統領は1961年6月にこのプログラムを中止した。 ワインバーグは、材料試験炉を、「低強度試験炉」(LITR)あるいは「貧乏人の杭」とも呼ばれる実際の原子炉のモックアップに改造させた。LITRでの実験により、加圧水型原子炉(PWR)と沸騰水型原子炉(BWR)が設計され、これらは現在の商用原子力発電所の主流となっている。ワインバーグは、ハロルド・ユーリーとユージン・ウィグナーが提案した水性均質炉のような、流体燃料を用いた原子炉のシンプルさと自己制御性に惹かれていた。そこでワインバーグは、1940年代後半の「原子力航空機」プロジェクトを支援するため、ORNLの原子炉技術者に固体燃料ではなく液体燃料を用いた原子炉の設計を依頼した。 この均質炉実験(HRE)は、ポット、パイプ、ポンプを必要とすることから、親しみを込めて「アルビンの3P炉」と呼ばれた。HREは1950年に運転を開始した。臨界に達したことを祝うパーティーに、ワインバーグは様々な酒を持ち込み、「シカゴで臨界になると、ワインで祝う。テネシーで臨界になると、ジャックダニエルで祝う」と言った。HREは105日間稼働した後で停止された。HREが稼働していた間、ジョン・F・ケネディ上院議員とアルバート・ゴア・シニア上院議員がORNLを訪問し、ワインバーグが応対した。
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