原子力空母の復活
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「エンタープライズ (CVN-65)」の記事における「原子力空母の復活」の解説
AECによって原子炉の開発計画が中止されたあとでも、海軍部内では、原子力空母に関する検討は継続されていた。1954年5月、艦艇用原子炉の開発を統括していたハイマン・G・リッコーヴァー少将は、攻撃潜水艦から航空母艦まで5種類の舶用原子炉の試作計画を提案して、今回はAECの承認を得ることができた。1955年末までには、空母用試作炉としてA1Wの計画が作成されており、これは1958年より運転を開始した。 一方、これらの原子炉を搭載する原子力空母そのものについては、まず1953年に小型の原子力空母(CVAN 4/53)の設計が検討されたのち、1954年2月16日の艦船局の覚書に基づいて、SCB-160計画が作成された。予備設計は1956年9月に完了し、1958年度計画での建造が承認された。これが本艦である。
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