原子力・核問題への対応
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また、主として外相時代に日米核持ち込み問題において、当事者としてアメリカとの核密約の取り交わしに関わる。外相時代にはキューバ危機の煽りで在日米軍・自衛隊が臨戦態勢を取っており、核・原子力関連の問題が多かった。1963年(昭和38年)1月にはエドウィン・ライシャワー駐日大使を通じて原子力潜水艦の寄港申し出でがあり、世間でも議論の的となった。この件については1年8か月かけて日米で技術的な照会や、原子力委員会での審議を重ねた後閣議で承認されたが、大平の秘書官を務めた森田一によれば、実際には1963年(昭和38年)4月にライシャワーから密約の存在を伝えられ苦悩していたと言う。 なお、核密約の方は大平もまた、公にその存在を公表することはなかったが、自民党の機関誌『政策月報』にて核・原子力関係の問題について語っている。その中で社会党が取っていた原子力技術全般への反対姿勢を核アレルギーを感情的に煽っている旨批判している他、原子力に対しての認識として次のように述べている。 大平 (注:寄港申し出が)非常にショッキングなできごとのように取り上げられたので、わたし自身も多少驚いたのでございます。しかし、民主主義の政治においては、われわれ政治をやる者がこう思うからというだけではいけないので、やはり国民全体が理解し、それに協力するという雰囲気ができ、それで政策が実行に移されることが望ましいし、またそうすべきでございます。(中略)その論議は事実を踏まえた上で公正に行われるべきだと思います。大平 核兵器とか言いますと、一般の受ける印象は非常に悪魔のようにつよい。(中略)核兵器と言う、みんなが悪魔みたいにみているものの持っている戦争抑止力というものに依存しておるということだから、これを一がいに平和の敵であるというような考え方は、非常に危険な考え方になるのではないだろうか。大平 日本は一番、パブリックリレーション(広報・相互理解)の面で弱いですね。大平 今日、原子力潜水艦の安全性というようなことから、今度は議論の焦点が最近はサブロックに移ってきたようだけれども(中略)事態が進みまして、こういったものの寄港問題が新しく出てくれば、それは事前協議の新しい問題として出てくるわけでございまして、いまの問題に関する限りは全然関係のない論議じゃないか。こういう論議に反対論の論調が集中してきたということは、逆に見れば本体のほうにあまり問題がなくなっているのではないかという感じがするのですね。 — 大平正芳 西脇安「原子力潜水艦寄港問題を語る 対談」『政策月報』1964年9月 寄港承認直後にも、サブロック問題に絡んで当時取り交わし済みだった核密約の再確認を行ったことが、21世紀に入ってから報じられている。小泉純也防衛庁長官ら新任閣僚が同ミサイルの配備を事前協議の対象となると指摘したため、米側が危機感を募らせていたからだった。
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