単意論への反駁の旅路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/31 16:04 UTC 版)
「聖マクシモス」の記事における「単意論への反駁の旅路」の解説
東方が広く単性論・単意論に影響されている事に危機感を抱いたマクシモスは、626年ペルシャ、スラヴの侵入のためコンスタンティノポリスを去り、流浪の旅を余儀なくされ、アレクサンドリアからクレタ島を経て北アフリカのカルタゴに着き、反単意論者ソフロニオスと出会う。(この頃、偽マカリオスの霊性を学んでいる。)自らの単性論・単意論への反駁を広める事に務め、聖職者のみならず一般信徒からも幅広い支持者を獲得していった。 東ローマ帝国の帝権は当時、国家の統合を維持するために、単性論者との妥協策として、キリスト(ハリストス)は唯一の意志のみを持っていたとする単意論を利用する事を目論んでいた。638年には単意論への賛同を臣民に義務付ける「エクテシス」(Ecthesis, 「信仰宣言」の意)がヘラクレイオス(イラクリオス)帝から出されている。エクテシスはローマ教皇ホノリウス1世の回答に基づき、コンスタンティノポリス総主教セルギオス1世の起草したものであった。 ヘラクレイオス(イラクリオス)帝の死後、単意論支持を明確にするコンスタンス2世(在位:641年 - 668年)が皇帝に即位するとローマに赴き、ローマ教皇テオドルス1世(ホノリウス1世より3代後の教皇、在位:642年 - 649年)と会見した。そして645年頃からマクシモス自身も神学論争に関与することになり、主導的役割を果たした。 エクテシスに対してマクシモスはローマ教皇マルティヌス1世(在位:649年 - 653年)と共に、真っ向から反対。「イエス・キリスト(イイスス・ハリストス)は、ちょうど彼が一つの位格(ペルソナ)のうちに二つの異なった別々の本性(神性と人性)を持っているように、二つの異なった別々の意志と活動を持っていなければならない」「マリアの唯一の子である神の唯一の子は、神と人として別々に意志し活動する」と主張。新しいアダム・最後のアダムとしてのキリストの救いは、真の人間としてのキリストが、自由に自発的に自分の人間としての意志を神としての意志に従わせたことにあり、意志をそなえた真正な人間としての行為によるとした。 マクシモスは、単意論を弾劾した649年ローマのラテラノ教会会議(英語版)に、150人の西方教会の代表者と37人の東方教会の代表者のうち、東方側の一人として参加した。この教会会議において、単意説批判がローマ教皇マルティヌス1世により布告されるに至った。
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