南鳥島及びウェーク島への空襲(1943年9~10月)
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「ウェーク島の戦い」の記事における「南鳥島及びウェーク島への空襲(1943年9~10月)」の解説
1943年中番以降からはエセックス級航空母艦が次々と真珠湾に到着した。空母エセックス (USS Essex, CV-9) 、ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) およびインディペンデンス (USS Independence, CVL-22) の三隻は第15任務部隊(パウナル少将)を構成し、南鳥島攻撃のための二週間に及ぶ訓練演習を共に行った。第15任務部隊による南鳥島攻撃は1943年9月1日に行われ、島の施設の70パーセント以上が破壊された。この攻撃は、エセックス航空母艦の初陣であると同時に、新採用の機動部隊戦術の実際の運用と試験、訓練を兼ねていた。1943年9月18日-20日にはレキシントン、プリンストン、ベロー・ウッドがギルバート諸島とナウルへの空襲を行った。 1943年10月6日と7日、アルフレッド・E・モントゴメリー少将指揮のアメリカ第14任務部隊(空母エセックス (USS Essex, CV-9) 、ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) 、レキシントン (USS Lexington, CV-16) 、インディペンデンス (USS Independence, CVL-22) 、ベロー・ウッド (USS Beleau Wood, CVL-24) 、カウペンス (USS Cowpens, CVL-25) 基幹)がウェーク島に対して合計738機を繰り出して空襲を行い、また重巡洋艦によって艦砲射撃を実施した。これらの攻撃は日本軍に大きな損害を与えた。 この攻撃により、備蓄してあった食糧の大半が焼失し、以後のウェーク島防衛に大きな影響を与えることとなった。一連の攻撃の後、酒井原はウェーク島に残してあったアメリカ人捕虜98名を島の北部に集め、機関銃で虐殺した。1名のアメリカ人が隙を突いて脱走し、岩に "98 US PW 5-10-43" というメッセージを彫ったが、彼もまた捕らえられて斬首された。 大本営は、ウェーク島・マーシャル諸島にアメリカ軍の攻略部隊が襲来するおそれが強いとして、連合艦隊に迎撃を指示した。連合艦隊は10月17日に第三艦隊など戦艦大和、長門、空母翔鶴、瑞鶴、瑞鳳からなる艦隊をウェーク島・マーシャル諸島方面へ出撃させたが、アメリカ艦隊は出現せずに完全な空振りに終わり、26日にトラック島へ帰投した。これら二つの出動の結果、前進基地であるトラック泊地の重油備蓄は底をつき、大規模な艦隊活動は不可能な状態に陥ってしまった。 詳細は「ろ号作戦#連合艦隊の動き」を参照
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