南鳥島及びウェーク島への空襲とは? わかりやすく解説

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南鳥島及びウェーク島への空襲(1943年9~10月)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:39 UTC 版)

ウェーク島の戦い」の記事における「南鳥島及びウェーク島への空襲(1943年9~10月)」の解説

1943年中番以降からはエセックス級航空母艦次々と真珠湾到着した空母エセックス (USS Essex, CV-9) 、ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) およびインディペンデンス (USS Independence, CVL-22) の三隻は第15任務部隊(パウナル少将)を構成し南鳥島攻撃のための二週間に及ぶ訓練演習を共に行った。第15任務部隊による南鳥島攻撃1943年9月1日行われ、島の施設70パーセント以上が破壊された。この攻撃は、エセックス航空母艦初陣であると同時に、新採用機動部隊戦術実際の運用試験訓練兼ねていた。1943年9月18日-20日にはレキシントンプリンストンベロー・ウッドギルバート諸島ナウルへの空襲行った1943年10月6日7日アルフレッド・E・モントゴメリー少将指揮アメリカ14任務部隊空母エセックス (USS Essex, CV-9) 、ヨークタウン (USS Yorktown, CV-10) 、レキシントン (USS Lexington, CV-16) 、インディペンデンス (USS Independence, CVL-22) 、ベロー・ウッド (USS Beleau Wood, CVL-24) 、カウペンス (USS Cowpens, CVL-25) 基幹)がウェーク島に対して合計738機を繰り出して空襲行い、また重巡洋艦によって艦砲射撃実施した。これらの攻撃日本軍大きな損害与えた。 この攻撃により、備蓄してあった食糧大半焼失し以後ウェーク島防衛大きな影響与えることとなった一連の攻撃の後、酒井原はウェーク島残してあったアメリカ人捕虜98名を島の北部集め機関銃虐殺した。1名のアメリカ人が隙を突いて脱走し、岩に "98 US PW 5-10-43" というメッセージ彫ったが、彼もまた捕らえられ斬首された。 大本営は、ウェーク島マーシャル諸島アメリカ軍攻略部隊襲来するおそれが強いとして連合艦隊迎撃指示した連合艦隊10月17日第三艦隊など戦艦大和長門空母翔鶴瑞鶴瑞鳳からなる艦隊ウェーク島マーシャル諸島方面出撃させたが、アメリカ艦隊出現せずに完全な空振り終わり26日トラック島帰投した。これら二つ出動結果前進基地であるトラック泊地重油備蓄は底をつき、大規模な艦隊活動不可能な状態に陥ってしまった。 詳細は「ろ号作戦#連合艦隊動き」を参照

※この「南鳥島及びウェーク島への空襲(1943年9~10月)」の解説は、「ウェーク島の戦い」の解説の一部です。
「南鳥島及びウェーク島への空襲(1943年9~10月)」を含む「ウェーク島の戦い」の記事については、「ウェーク島の戦い」の概要を参照ください。

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