南鳥島事件とグアノの発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:39 UTC 版)
「水谷新六」の記事における「南鳥島事件とグアノの発見」の解説
南鳥島に注目していたのは日本人ばかりではなかった。アメリカ人ローズヒルは1889年に南鳥島に上陸していたといい、1902年7月、南鳥島でグアノ採掘を行うためにハワイを出港した。新聞報道でそのことを知った日本政府は、当時日本海軍で最も高速であった艦船、笠置を急派する。 笠置はローズヒルに先立って南鳥島に到着し、外務省の石井菊次郎書記官と警備隊を駐留させて帰還した。その後間もなくローズヒルが来島するものの、島には警備隊が駐留しており、しかも石井から日本政府からの南鳥島領有主張の書簡と、在日アメリカ公使からの紛争回避を求める書簡を渡されたため、目的を達することなく8月初めには退去した。 その後、8月22日に南鳥島の警備隊等を撤収させるために海軍艦艇高千穂が派遣された。高千穂には当時、農商務省肥料鉱物調査所所長として日本全国でリン資源を探査していた恒藤規隆からの要請によって、恒藤の部下である技師が同乗していた。技師は南鳥島で土砂を採集して持ち帰り、分析したところリン酸の含有量が30パーセントを超える優良なグアノであることが判明した。 なお、南鳥島事件後、それまで水谷村と呼ばれていた島内の集落名は外務省の石井書記官にちなんだ石井村と改名され、また島内の地名も派遣された海軍艦艇にちなんだものへと変更されて、水谷による開拓にちなんだ命名は全て取り消された。
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