十勝開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 10:10 UTC 版)
2004年~2007年にかけては北海道・十勝地方で行われた。名称は2005年まで「ラリー・ジャパン」、2006年以降は「ラリージャパン」と表記される。第2回(2005年)よりプロダクションカー世界ラリー選手権 (PWRC) が併催された。なお、ラリー北海道は同年よりアジアパシフィックラリー選手権(APRC)の一戦として、ラリージャパンとは別に開催されている。 ヘッドクオーター及びサービスパーク(北愛国)は帯広市に設置され、帯広市、陸別町、足寄町、新得町にスペシャルステージ(SS)が設定された。陸別町では、陸別サーキットのダートコースがSSの一部となった。2005年までは、幕別町の札内川河川敷に観戦スタンドを備えた特設コースが建設され、スーパーSSが行われていたが、2006年は北愛国サービスパークに隣接された。国立・国定公園に隣接した林道でのラリーに対して、自然保護団体等からは抗議・反対の声もあがった。 コース名は標準的な日本語ではなく、北海道古来のアイヌ語の地名によって名づけられていることも特徴の一つである。スペシャルステージは非常に道幅が狭く低速なステージが多いが、道幅の広い高速コースもある。路面状況は砂や砂利が多く、非常にルーズな路面も多いためニュージーランドやグレートブリテン(イギリス)に似ているとも言われている。中でも足寄町で行われるSSの一つ、パウセカムイ観戦エリアBは北海道らしい雄大な牧草地帯を走り抜けるところを観戦できるため、人気の観戦ポイントとなっていた。 初開催となった2004年は道内外と海外からのべ21万人が訪れ、2回目となる2005年も20万人が観戦した。また、帯広市内中心部で開催されるセレモニアルスタートにも毎年約5万人が訪れ、帯広市としては市制始まって以来の年に一度の大イベントとなっていた。SSは安全のため観客が立ち入るエリアが制限されており、SS間のロードセクション(移動区間)の沿道に熱心なギャラリーの列ができるという光景が海外のクルーたちを驚かせた。 ただし、2005年大会の終了後、ラリー北海道時代から支援を続けてきた毎日新聞が多額の経費負担を理由に撤退し、財政面の後ろ盾を失った。また、帯広市周辺の宿泊施設のキャパシティを大きく上回る関係者・観戦客の数により毎年宿泊施設不足に悩まされていたことなどに加え、ロードセクションの距離が長く、競技車両が渋滞に巻き込まれタイムコントロールに遅刻するケースがしばしば発生し、参加者から改善を求められていた。
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