北野との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「北野との出会い」の解説
1977年(昭和52年)9月15日、Mは知人女性からの紹介で、彼女の売春の客になったことがある北野宏(各事件当時28歳)と知り合い、交際するようになった。北野は1952年(昭和27年)2月1日生まれで、Mと知り合った当時は腎臓病(ネフローゼ)の持病を抱えつつ、電気工として働いており、預金二百十数万円を持っていた。また、同年1月に結婚し、新世帯を持っていた。井口泰子は、2人が互いに惹かれ合った理由について、「Mにとって北野は好みのタイプであるスマートな二枚目で、母性愛をくすぐられ、北野もそれに刺激されたのだろう」と考察している。 Mは間もなく、北野には妻がいることを知ったが、北野の妻に不倫関係を知られることはなく、逢瀬を重ねて情交を深めた。また、1978年(昭和53年)2月以降は2人で100万円ずつ出資し合い、富山市清水町の事務所を借り、「北陸企画」の名称で贈答品販売業の共同経営を開始した。当初は収益を上げていたが、次第に事業への意欲が薄れていき、1979年(昭和54年)に入ると著しい不振に陥った。一方、「北陸企画」を起業して以降も、北野は電気計装業を続けていたが、1979年に入ると、過労がたたって寝込むようになった。 北野は当時のMについて、公判で「冷凍機の販売計画、大宮の会社への出資、金沢の父の遺産などの話を聞かされ、Mに対し『金持ちで仕事のできる女性』という印象を抱いていた。やがてMは、自分と共同で始めた北陸企画の経営に熱を入れなくなったが、その後も彼女に対する誤信は変わらず、1979年3月にMから『大宮にいる仲間と金を入手する』という企てを聞かされた。その方法は、議員秘書と偽って政治資金の名目で詐取した手形・土地の書類などを換金するもので、『成功すれば、あなたも何百万円かを手に入れられる』と聞かされ、同年6月 - 7月には2度にわたり、Mと一緒に金(1,000 - 1,500万円程度)を受け取るため、大宮に行ったが、『換金にしばらく時間を要する』と言われた。同年8月下旬にはMから、換金を担当する東京の男が警察に捕まり、4か月刑務所に入ったことを聞かされたが、同時に『その男が出所すれば金が確実に手に入るので、フェアレディZ(後述)の購入費用を一時都合して欲しい』と頼まれ、友人・妻らから計250万円を借りた」と述べている。
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