北海炭礦鉄道とは? わかりやすく解説

北海炭礦鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 16:05 UTC 版)

国鉄3045形蒸気機関車」の記事における「北海炭礦鉄道」の解説

北海炭礦鉄道(後の雄別鉄道)へは、1922年に2両(103, 104)、1925年に1両(106)の計3両が入線している。同社では、番号一位入線順位に、百位十位形式当てるという特殊な付番方法を採っている。当初本線で運炭列車牽引使用されたが、C11形8700形入線により、入換用退いていった。 最初の2両と増備車の1両では形態若干の差があり、103104では運転室出入口切り欠き大きかったが、106では切り欠き若干小さくなった代わりに四角形小窓設けられている。また、103104106よりも運転室背部炭庫容量小さかった北海道鉄道夕張鉄道入った4両の形態は、106準じている。 1958年には、103同系列の茂尻礦業所に移籍104日本甜菜製糖磯分内工場専用線譲渡された。106については、1962年昭和37年)に廃車となった

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北海炭礦鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 16:45 UTC 版)

国鉄1215形蒸気機関車」の記事における「北海炭礦鉄道」の解説

1923年製が1両(製造番号 10475)導入され205として使用された。この機関車は、シリンダ行程が450mmに変わった以外は、八幡製鉄所のものと同形である。この機関車は、最初本線用、後年炭鉱構内入換用となった。北海炭礦鉄道は1924年雄別炭礦鉄道、さらに1959年昭和34年)には雄別鉄道変わり、さらに1970年昭和45年)には釧路開発埠頭譲渡されたものの、同年廃止となった。この機関車入札かけられ埼玉県川越市内の角栄幼稚園引き取られたが、1985年昭和60年)ごろに解体された。

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