北海炭礦鉄道
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「国鉄3045形蒸気機関車」の記事における「北海炭礦鉄道」の解説
北海炭礦鉄道(後の雄別鉄道)へは、1922年に2両(103, 104)、1925年に1両(106)の計3両が入線している。同社では、番号の一位を入線順位に、百位と十位を形式に当てるという特殊な付番方法を採っている。当初は本線で運炭列車の牽引に使用されたが、C11形や8700形の入線により、入換用に退いていった。 最初の2両と増備車の1両では形態に若干の差があり、103と104では運転室の出入口の切り欠きが大きかったが、106では切り欠きが若干小さくなった代わりに四角形の小窓が設けられている。また、103と104は106よりも運転室背部炭庫の容量が小さかった。北海道鉄道と夕張鉄道に入った4両の形態は、106に準じている。 1958年には、103が同系列の茂尻礦業所に移籍、104も日本甜菜製糖磯分内工場専用線に譲渡された。106については、1962年(昭和37年)に廃車となった。
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北海炭礦鉄道
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「国鉄1215形蒸気機関車」の記事における「北海炭礦鉄道」の解説
1923年製が1両(製造番号 10475)導入され、205として使用された。この機関車は、シリンダの行程が450mmに変わった以外は、八幡製鉄所のものと同形である。この機関車は、最初は本線用、後年は炭鉱構内の入換用となった。北海炭礦鉄道は1924年に雄別炭礦鉄道、さらに1959年(昭和34年)には雄別鉄道に変わり、さらに1970年(昭和45年)には釧路開発埠頭へ譲渡されたものの、同年に廃止となった。この機関車は入札にかけられ、埼玉県川越市内の角栄幼稚園に引き取られたが、1985年(昭和60年)ごろに解体された。
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