加藤秋太郎と廣部幸太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 01:54 UTC 版)
「オタモイ遊園地」の記事における「加藤秋太郎と廣部幸太郎」の解説
オタモイ遊園地の創設者の加藤秋太郎(1869年~1954年)は、愛知県出身で、寿司職人として東京浅草のすし店「蛇の目」で修業を積み独立。その後朝鮮半島へ渡り店を開き、順調な経営だったが、儲け話に乗り失敗。挽回すべく樺太で事業を立ち上げようと渡航のために立ち寄った港が小樽だった。しかし樺太へは渡らずに小樽で寿司店を開業。東京浅草蛇の目寿司の支店を名乗り「蛇の目寿司」を始める。小さな店舗であったが、本格的な江戸前寿司は、当時の小樽では珍しく、2年後には2号店を開店させるほどの人気ぶりであった。店は電飾で飾った派手な看板でも評判となった。その後は寿司以外にも日本料理、フランス料理、中華料理、てんぷら料理などを出す高級割烹店となり、店名を「蛇の目」に改めた。 割烹店が軌道に乗った加藤は、店で出す鯉の仕入れ先であった廣部養鯉園の経営者である廣部幸太郎からオタモイという土地を紹介される。当時のオタモイは小樽市の隣町、忍路郡塩谷村に属していたが、廣部はオタモイ地区の初期の入植者であったため、オタモイの土地柄を熟知していた。小樽は、当時、北海道経済の中心街であり、多くの来訪者があったにも関わらず、観光名所がなかったが、小樽に観光名所をつくりたいと考えていた加藤は、オタモイ海岸の景勝を気に入り、一大観光地にすべく、私財をつぎ込みオタモイ遊園地創設に着手した。廣部もまた深く事業にかかわり、遊園地建設に多大な貢献をした。
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