創価学会反対派との紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 13:09 UTC 版)
創価学会本部襲撃事件 1974年(昭和49年)10月4日に正本堂建立を巡って創価学会との教義対立が原因で、妙信講(現在の冨士大石寺顕正会)信者約70名が東京都新宿区信濃町にある創価学会本部(創価文化会館)に抗議行動に訪れて創価学会敷地内に街宣車で突入した「創価学会本部襲撃事件」が発生した。会館警備をしていた創価学会側の牙城会メンバー約50名と妙信講(現在の冨士大石寺顕正会)信者約70名との乱闘騒ぎに発展した。創価学会側では警視庁に機動隊の出動要請して妙信講(現在の冨士大石寺顕正会)信者は警察に強制排除され、妙信講(現在の冨士大石寺顕正会)信者12名が創価学会敷地内に対する不法侵入の容疑で逮捕された。この事件は当時の読売新聞と朝日新聞で報道された。 詳細は「冨士大石寺顕正会」も参照 池田大作サリン襲撃未遂事件 1993年(平成5年)11月と12月に「池田大作サリン襲撃未遂事件」が発生した。オウム真理教が敵対視していた池田大作(創価学会名誉会長)の暗殺を計画して東京都八王子市にある創価大学キャンパスおよび牧口常三郎(初代会長)の名を冠した「東京牧口記念会館」に猛毒のサリンを散布した。創価学会の会館警備していた牙城会員数名が一時的な視力減退や倦怠感などのサリン中毒特有の症状を訴えたが、池田大作(創価学会名誉会長)の暗殺には失敗したために創価学会側は警察への通報や被害届の提出を見送った。1995年(平成7年)のオウム真理教事件の刑事裁判でこの事件が明らかになった。 詳細は「松本サリン事件及び地下鉄サリン事件及び滝本太郎弁護士サリン襲撃事件」も参照
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