制度の終焉
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大手合制度は、九段の不参加や点数制度の弊害の結果、昇段がたやすくなり、段位のインフレ現象が顕著となった。結果として、九段の棋士が段位の中で最も人数が多くなり、棋士全体の2割を超えるという異常な状態をもたらした。また賞金が付かないため、若手棋士の中には賞金付き棋戦のみ出場して大手合には出ない者も現れるなど、時代に合わない点が現れるようになった。1990年代には酒井猛による順位戦導入の改革案なども出された。 2003年1月20日、日本棋院は大手合制度の廃止を発表。同年4月から (1)タイトル獲得 (2)一般棋戦の勝ち星数 (3)賞金ランキング を3本柱とする新昇段制度に移行した。この方式は元々、昇段制度が厳しかった日本将棋連盟が、囲碁界並に昇段機会を増やすために導入した制度を参考にしたものでもある。関西棋院も2004年10月をもって大手合を廃止、2005年1月には日本棋院とほぼ同様の新昇段制度に移行している。 その後、2006年に「新大手合」というべきランキング戦の案が発表された。 (A)プロ・アマで段位を統合し、八段と九段(=プロ)について1位から4位にランキングする (B)段位は従来どおりながら、九段について1位から4位にランキングする という二つの案だったが、その後さしたる動きには至っていない。 なお、韓国棋院では大手合に相当する昇段大会が行われていたが、2003年に廃止され、一般棋戦の成績に基づく昇段制度に変更された。
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制度の終焉
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場所請負制は明治2年9月に開拓使の島義勇によって廃止が明示されたが、場所請負人らの反対もあり同年10月漁場持(ぎょばもち)と名称を変え旧東蝦夷地(太平洋岸および千島)や増毛以北の旧西蝦夷地(日本海岸およびオホーツク海岸)でしばらく存続することとなった。これが原因となり、失望した松浦武四郎は役職を辞した。明治4年12月から5年2月にかけて、北海道の分領支配の廃止にともない漁場持の再任がおこなわれたが、石狩以南の旧分領支配地諸郡には漁場持の設定がされなかった。漁場持ちは明治9年9月の廃止まで存続した。
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制度の終焉
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そんな中、日本消費者連盟は1982年(昭和57年)に、著書『ほんものの酒を!』ISBN 978-4380820038 で「日本酒級別制度は国家権力による不当表示、詐欺の強要である」とその実態を告発した。この指摘に当時の大蔵省は沈黙絶句した。
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