初期の陽動行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 14:42 UTC 版)
「フィラデルフィア方面作戦」の記事における「初期の陽動行動」の解説
ワシントンの大陸軍は主にニュージャージーのモリスタウンに宿営していたが、イギリス軍の最も近い前進基地からわずか数マイルしか離れていないバウンドブルックに前進基地を置いていた。イギリス軍のチャールズ・コーンウォリス将軍は、打ち続いていた小競り合いに対する報復手段という意味合いもあって、1777年4月にバウンドブルックを襲撃し、そこの指揮官ベンジャミン・リンカーンを捕まえる寸前までいった。この襲撃に対抗してワシントンはその軍隊を前に出し、ワチャング山脈のミドルブルックに強力な砦を構えた。そこからはフィラデルフィアに向けたイギリス軍の進撃があるとすればその経路を睥睨できた。 ハウ将軍は全体的には不明なところのある理由で、かなりの勢力をニューブランズウィックの南にあるサマセットコートハウスに移動させた。この動きがワシントン軍をその強固な防御陣地から誘い出そうという陽動行動で行ったのであれば失敗だった。ワシントンはその軍隊を大挙して動かすことを拒んだ。ワシントンは、ハウが舟艇を運ぶか建設するために必要な装備を持ってきていないという情報を得ており、この動きからデラウェア川に進む可能性は薄いと判断した。最終的にハウがその軍隊をパースアンボイの方向に後退させると、ワシントンもそれに従った。ハウはワシントン軍を高地に戻る道から遮断するためにコーンウォリスの指揮する部隊を送って電撃作戦を始めたが、この試みはショートヒルズの戦いで躓いた。その後ハウは全軍をパースアンボイに退き、輸送船に乗船させ、ニューヨーク港から出港してフィラデルフィアに向かった。 ワシントンはハウ軍がどこに向かっているか分からなかった。ハウが再度陽動行動を行っている可能性を考慮し、またハドソン川を遡ってバーゴイン軍と合流する可能性も考え、自軍をニューヨーク市の近くに留めた。ハウの艦隊がデラウェア川の河口に到着したという報せを受けた時に初めてフィラデルフィアを防衛する必要性について考えた。しかし、その艦隊はデラウェア川には入らず、さらに南に向かった。ハウの標的が分からないまま、それがサウスカロライナのチャールストンである可能性もあり、その艦隊がチェサピーク湾に入ったという報せを受けたときには、ハドソン川防衛を支援するために北に動くことも考えていた。8月、ワシントンはフィラデルフィア市防衛に備えて軍隊を南に動かし始めた。スタテン島に対面して大陸軍の部隊を指揮していたジョン・サリバン将軍は、ハウ軍が出発した後のイギリス軍が弱体化していることに付け込もうとして、8月22日にスタテン島を襲撃したが失敗した。
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