列車の評判とサービス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 09:53 UTC 版)
「あじあ (列車)」の記事における「列車の評判とサービス」の解説
「あじあ」の満州国や日本における人気と知名度は高く、1930年代から1940年代初頭における満鉄の代表列車として広く親しまれた。1937年(昭和12年)秋からは小学5年生用の国定国語教科書に、少年が「あじあ」に乗車して大連からハルビンへ向かう様子を描いた読み物「『あじあ』に乗りて」が掲載されている。 一等車・二等車はもとより三等車でも居住性はきわめて優秀で、シートピッチと座席の奥行きがやや狭いことを除けば「あじあ」の三等座席は一般列車の二等座席に相当するものであった。 しかしながら、「あじあ」の開発決定(1933年8月)から営業運転の開始(1934年11月1日)まで1年強という短い期間の中で新型機関車及び客車の開発・製造、冷房装置の生産、単線区間の複線化など数多くの作業を行ったため、試運転や試験に十分な時間を割くことができず、「あじあ」は営業運転開始後の初期不良に悩まされた。特に、前例のない高速運転に伴う機関車の故障や客車の振動、新設備である冷房装置の不具合が多かった。 ジャパン・ツーリスト・ビューロー発行の『満州支那汽車時間表』昭和15年8月号には「あじあ」食堂車での提供メニューとして洋式定食、アラカルト、和式定食、丼が挙げられており、定食の価格は昼・夜いずれも2円。また、1935年(昭和10年)9月のハルビン延長に伴い食堂車での白系ロシア人ウエイトレスの乗務およびオリジナルの「あじあカクテル」の提供が開始されている(ただし、白系ロシア人ウエイトレスの乗務は11月1日開始)。 「あじあカクテル(グリーンとスカーレットの2種類があった)」の正確なレシピは現存せず不明であるが、山崎達郎の著書では以下の説が紹介されている。 グリーン:ウォッカをベースに、ペパーミント・リキュールを追加。 スカーレット:コニャックをベースに、グレナデン・シロップを追加。
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