出世の石段とは? わかりやすく解説

出世の石段

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:44 UTC 版)

愛宕山 (東京都港区)」の記事における「出世の石段」の解説

現在でも「男坂」の急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。これは、江戸時代1634年2月25日寛永11年1月28日)、徳川秀忠三回忌として増上寺参拝帰り徳川家光山上にある咲いているのを見て、「を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣曲垣平九郎)が見事馬で石段駆け上がって取ってくることに成功し、その者は馬術名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている(講談浪曲定番、「寛永三馬術」で今も伝わる)。 以降、出世の石段を馬で登った成功例今までに3例存在する。1例目は仙台藩馬術指南役務め廃藩後曲馬師をしていた石川清馬で、師の四戸三平挑み果たせなかった出世の石段登頂1882年に自らが成功させ、これにより石川家徳川慶喜よりの紋の使用許された。 2例目は参謀本部馬丁岩木利夫で、1925年11月8日愛馬平形引退記念として挑戦し観衆見守る成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下り45分要した。この模様山頂東京放送局によって中継され日本初生中継とされる)、昭和天皇の耳にも入り結局平形陸軍騎兵学校将校乗馬として使われ続けることとなった。 3例目は馬術スタントマン渡辺隆馬である。1982年日本テレビ特別番組史実挑戦』において、安全網命綱保護帽などの安全策施した上で32秒で登頂した

※この「出世の石段」の解説は、「愛宕山 (東京都港区)」の解説の一部です。
「出世の石段」を含む「愛宕山 (東京都港区)」の記事については、「愛宕山 (東京都港区)」の概要を参照ください。

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