冬夕焼木偶の笑ひを残す山
作 者 |
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季 語 |
冬の夕焼 |
季 節 |
冬 |
出 典 |
標 |
前 書 |
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評 言 |
作者は山梨県生まれで「四季」編集同人・雷魚同人である。この作品、木偶をどう読みかということですべてが決まる。例えば、縄文時代の遺跡から出土した素焼の土性人形であった土偶ではどうだろうか、また丹精込めた阿弥陀如来像などへの想いにも駆られる。 元々、日本は周囲を海に囲まれ森林と山岳が多く、その自然のなかに様々な生命が宿っているという信仰を生み出す風土、海、山の幸に恵まれさまざまな動植物や木の実、木の芽に至るまで生命が宿っているという観念が発達。キリスト教以前、仏教以前の時代は万物生命信仰のなかで生きていた。これがもっとも普遍的な人間の宗教意識、どんな人にもその深層にはこの普遍的な生命信仰、精霊信仰がベースとしてある。ある宗教家によると日本人にとっての無常観というのは人間の運命が次第に滅亡に向かって最後は死滅するという、その運命に共感の涙を流すような類の無常観、「平家物語」的な叙情的で湿った無常観であるという。大分県を例にとると天台宗の普及した平安時代後期には国東半島に代表的な熊野摩崖仏が造られており、平安後期から鎌倉時代に造られた臼杵市深田の国宝特別史跡の摩崖仏群や鎌倉時代の豊後大野市普光寺の30mの岩壁に刻まれた8.3mの不動明王座像などがすぐに思い浮かぶ。この大日如来像や不動明王像の巨像を自然の岩肌に刻み、大自然と渾然として一致する即身成仏の神秘的な修験の霊場の山岳仏教が県下あちこちに出現をみている。こうした信仰の環境の中に育った日本人は土偶や木偶、石仏などの存在が自然体として沁み込んでいる。 掲句、冬夕焼けとの対峙には日本人の無意識のうちの体感としての宗教感、無常観をにじませて山梨への望郷の思いを熱くしている作者の存在を意識させられる。 |
評 者 |
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備 考 |
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