内方移動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/03 07:58 UTC 版)
「フィンランドの人口統計」の記事における「内方移動」の解説
外部移動は長期的にはフィンランドの社会に影響を与えるが、内方移動、特に第二次世界大戦の終戦から1970年代中期における内方移動はフィンランドの社会に最も影響を与えた。当時、フィンランドの人口の半分が内方移動をした。第二次世界大戦以前の内方移動は数世紀にわたって、北方で集落を形成するために行われていた。しかし、19世紀の後半以降、遅れてやってきたフィンランドの工業化により人口が郊外から緩慢に南部へ、雇用のある地域へと移動した。 戦後の内方移動はソ連に割譲されたカレリア地域のほぼ全住民の再定住に始まった。フィンランドの人口の10%を占めた40万人以上の住民がフィンランド各地で、主に人口のより少ない東部と北部に移住した。これらの地域では新しく整地された土地がカレリアから逃れてきた住民に提供された。人口のより多い地域では資産が接収された。この移住は数年間で終わり、結果としては工業化された国で逆に農地が増えたという現象が起こった。 第二次世界大戦後、経済の転換期にあるフィンランドでは「大移動」(英: Great Migration)と呼ばれた大規模な移民が起こった。この「大移動」では住民が郊外、特にフィンランド東部と北東部から工業化の進んだ都市部がある南部へ移住した。郊外の住民が離れたのは農業と林業の機械化により仕事が少なくなったためであった。職を失った労働者は当時拡大していた工業とサービス業の仕事がある地域へと移動した。大移動は1950年代に開始したが、人口移動が最も激しいのは1960年代から1970年代初期にわたっての時期だった。この大移動で移住した国民の比率は第三世界以外ではそれまで全く見られなかった高さであった。大移動により郊外では放棄された農地、減少した上に高齢化した住民しか残らず、一方南部では人口密度の高く、脱工業化した社会が形成した。 この人口移動の影響は下記の数字から見られる。1951年から1975年まで、フィンランド全体の人口は655,000人増加した。同時期には南部の小さなウーシマー州の人口が670,000人から1,092,000人まで増加(412,000人の増加となる)、うち増加分の4分の3がほかの州からの移住であった。フィンランドの南部5州(オーランド諸島、トゥルク・ポリ州、ハメ州、キュミ州、ウーシマー州)の人口増が全国の人口増の97%を占め、中部と北部の州はわずか3%を占めたにすぎなかった。しかも東部の北カルヤラ州、ミッケリ州、クオピオ州では人口が減少した。 南への人口移動を可視化する方法としては、フィンランド湾の港口都市コトカとボスニア湾の港口都市カスキネン(英語版)の間に(北に少し曲がった)直線を書く方法がある。1975年、この線の南にフィンランド人口の半分が住んでいる。その10年前にも同じような線を書くにはその線を北に移動して、線の南に約20%の土地を増やす必要がある。そして、100年前にも同じような線を書くには線の南に倍の土地を含める必要がある。また別の方法には、1980年時点ではフィンランドの南部、国土の41%にあたる地域に約9割の国民が住んでいるという事実がある。
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