典拠・作者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/13 08:18 UTC 版)
『申楽談儀』に右近の馬場の能としての言及があり、世阿弥の作と認められる。しかし『能本作者註分』に「前後ヲ小次郎カキナオス」とあるため、観世小次郎信光が改作したとされている。世阿弥による女体の脇能は、ほかに『呉羽』『鵜羽』がある。
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典拠・作者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 05:31 UTC 版)
世阿弥の『三道』には、老体の規範曲として見え、『申楽談儀』では世阿弥改作となっている。『俊頼髄脳 』にある和歌の功徳説話を基にして作られている。節は、『申楽談儀』によると喜阿弥の影響を強く受けたとされている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:48 UTC 版)
『源氏物語』49帖の「宿木」から54帖「夢浮橋」に登場する架空の人物浮舟を題材に制作されている。『申楽談儀』によると、守護大名細川満元の家臣、横越元久が制作し、節を世阿弥が付けたとされる。世阿弥は『三道』で、本曲を「浮舟の憑き物」と呼び、女体の能の作品の中でも「玉の中の玉」と高く評価している。申楽談儀では、自讃する『砧」に比肩する能として本曲をあげている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 02:48 UTC 版)
『申楽談儀』に、本作品の後半部分のシテのセリフを、田楽新座の喜阿弥 が訛らせて謡ったと書かれている事から、南北朝時代に成立した作品と言われている。また、作者も喜阿弥の可能性が高いとする説がある。 この作品は中将姫にまつわる説話をもとに制作されたものと思われている。この作品より後には、『当麻曼陀羅疏』(1436年)、『享禄本当麻寺縁起』(1531年)、『お伽草子』の『中将姫の本地』など、當麻寺の縁起譚 から離れ、中将姫の苦難と救済の物語としての要素が加わっているが、同様の物語が、この作品以前にも流布されていたのではないかと思われている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/13 08:22 UTC 版)
世阿弥の『申楽談儀』の記述により、『船橋』は『佐野船橋』と言う田楽能を、世阿弥が改作したものであることが知られている。その『佐野船橋』は南北朝時代の初期の作品といわれているが、その元となる『万葉集』の恋歌「上つ毛野の佐野の船橋取り放し親は放くれど吾は離るがえ」(巻14、3420) は、平安時代以降、『万葉集抄』などの注釈書により歌型が少し変わり、その歌をめぐる説話などもあり、『佐野船橋』はそれらをもとに制作されたであろうと言われている。世阿弥も、中世の歌型を変えた万葉歌と、新撰歌枕名寄、釣舟、岩橋説話などの説話や歌学書に拠り、脚色し改作したのであろうとされている。
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