共同競馬会社による戸山競馬とは? わかりやすく解説

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共同競馬会社による戸山競馬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 15:44 UTC 版)

戸山競馬」の記事における「共同競馬会社による戸山競馬」の解説

戸山学校競馬場はグラント将軍歓待用に作られたが、グラント将軍帰国したのち1879年(明治12年)11月30日には共同競馬会社によって第1回戸山競馬開催された。 共同競馬会社幹事松方正義蜂須賀茂韶議員野津道貫保科正敬鍋島直大田中光顕石井邦猷小沢武雄西寛二郎黒川通軌楠本正隆など、旧大名明治の元勲政治家、高級将校などが名を連ねる会社であり、馬主にも旧大名たちや伊藤博文西郷従道岩崎弥之助をはじめ名士名を連ねていた。1884年当時競走馬大半内国産馬(在来日本馬)で雑種馬も少数いたが、純粋なサラブレッドなどの西洋馬は見つけることが出来ない馬主には外国人多く含まれ、馬の名も電光、豊駒などの和名、アラキヤン、サンテルムなどの洋風名のそれぞれがあった。 共同競馬会社によって開催され第1回戸山競馬日本の皇族来日中のイタリア王国王族大臣参議政府高官、軍将校など多数集まり11月30日12時50分に第1競走スタート、第1競走では鹿児島産馬アラキヤンが勝利し賞品花瓶45円を獲得する第1回戸山競馬初日には6レース組まれている。 第2回戸山競馬は翌1880年(明治13年)4月17,18日2日開催され第3回目同年10月16,17日二日間第3回目戸山競馬の第1レース日本馬レースで距離は3/4周(960メートル未勝利馬レース組まれ初日二日目ともに日本馬レース雑種馬のレース混在して距離も短いもので3/4周(960メートル長いもので1と1/4周(1600メートル)の計7レースが行われている。以後毎年春秋2日開催されるが各レース勝ち馬には賞金100円から40程度金額宮内省からの賞品などが与えられた。 1880年(明治13年)の春場所からは明治天皇来駕され、共同競馬会社主催戸山競馬明治天皇合計5回観覧される(上野不忍池競馬には7回で明治天皇合計12共同競馬会社主催観覧されている しかし、当時戸山交通が不便であったため1884年(明治17年)秋場所からは上野不忍池に場所を移動し戸山での競馬終了する上野不忍池競馬では開催日も各場所3日間に増え1日開催レース数も8レース増加し観客多く詰めかけ盛況を得る。 「上野不忍池競馬」も参照 戸山学校競馬跡地は後には陸軍射撃場となり、平成の現在では早稲田大学理工学部キャンパス保善高校戸山公園などになっている

※この「共同競馬会社による戸山競馬」の解説は、「戸山競馬」の解説の一部です。
「共同競馬会社による戸山競馬」を含む「戸山競馬」の記事については、「戸山競馬」の概要を参照ください。

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