元蟹江本通り時代(1966-1969)
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「蟹江町図書館」の記事における「元蟹江本通り時代(1966-1969)」の解説
蟹江町は海部地域南部の低地にあり、1889年(明治22年)10月1日の町村制施行時には津島町(現・津島市)と並んで海西郡・海東郡(2郡を合わせて現在の海部郡)で町制を施行した2町のひとつである。戦後には工場の誘致、団地の造成、温泉開発などによって急速な発展を遂げつつあり、図書館開館時点の人口は約21,000人だった。 蟹江町出身の衆議院議員である佐藤観次郎は高知県宿毛市を訪れた際、冨山房創設者の坂本嘉治馬が設立した私立坂本図書館(現・宿毛市立坂本図書館)を見学し、自身の蔵書を主体とする公共図書館の設立を思い立った。佐藤は自身の蔵書に加えて、出版社や新聞社に寄贈を依頼して蔵書を収集し、集めた約8,000冊を蟹江町に寄贈した。蟹江町はこれらの図書を一般閲覧に供するために、図書館の建設を計画した。 国鉄関西本線蟹江駅と近鉄名古屋線近鉄蟹江駅の中間付近、元蟹江本通りには東海銀行(現・三菱UFJ銀行)蟹江支店があったが、東海銀行蟹江支店は近鉄蟹江駅前に移転した。1965年には蟹江本町字城に図書館を建設する議案が可決され、蟹江町は元蟹江本通りの銀行建物を700万円で購入。木造建築の内部を改装して、1966年(昭和41年)5月1日に蟹江町立図書館を開館させた。佐藤からは開館後にもばしばし寄贈を受けた。佐藤自身が務めた中央公論社からは多くの献本を受けており、また佐藤の長男である佐藤観樹が勤務していた文芸春秋社や、佐藤の計画に共感した創元新社などからも献本を受けている。 敷地面積は359m2、建物の延床面積は264m2であり、この一部に書庫・閲覧室・会議室が置かれた。開館時には書籍7,500冊、雑誌2,500冊の計10,000冊を所蔵していた。開館時の職員は館長を含めて3人であり、図書購入予算は年額50万円だった。1967年(昭和42年)2月1日から館外貸出を開始した。佐藤観次郎からの寄贈本の影響で文学書や経済書の割合が多かったため、開館後には参考図書・科学書・児童書などの充実が図られた。商店街の中にあったため読書環境は良好ではなく、また木造建築であることから火災に弱いという欠点があった。採光が不十分であり、時期によっては湿度が高かった。
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