元蟹江本通り時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 元蟹江本通り時代の意味・解説 

元蟹江本通り時代(1966-1969)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/18 08:40 UTC 版)

蟹江町図書館」の記事における「元蟹江本通り時代(1966-1969)」の解説

蟹江町海部地域南部低地にあり、1889年明治22年10月1日町村制施行時には津島町(現・津島市)と並んで海西郡海東郡(2郡を合わせて現在の海部郡)で町制施行した2町のひとつである。戦後には工場誘致団地造成温泉開発などによって急速な発展遂げつつあり、図書館開館時点の人口は約21,000人だった。 蟹江町出身衆議院議員である佐藤観次郎高知県宿毛市訪れた際、冨山房創設者坂本嘉治馬設立した私立坂本図書館(現・宿毛市坂本図書館)を見学し自身蔵書主体とする公共図書館設立思い立った佐藤自身蔵書加えて出版社新聞社寄贈依頼して蔵書収集し集めた約8,000冊を蟹江町寄贈した蟹江町はこれらの図書一般閲覧供するために、図書館建設計画した国鉄関西本線蟹江駅近鉄名古屋線近鉄蟹江駅中間付近、元蟹江本通りには東海銀行(現・三菱UFJ銀行蟹江支店があったが、東海銀行蟹江支店近鉄蟹江駅前に移転した1965年には蟹江本町字城に図書館建設する議案可決され蟹江町は元蟹江本通り銀行建物700万円購入木造建築内部改装して1966年昭和41年5月1日蟹江町図書館開館させた。佐藤からは開館後にもばしばし寄贈受けた佐藤自身務めた中央公論社からは多く献本受けており、また佐藤長男である佐藤観樹勤務していた文芸春秋社や、佐藤計画共感した創元新社などからも献本受けている。 敷地面積は359m2、建物延床面積は264m2であり、この一部書庫閲覧室会議室置かれた。開館時には書籍7,500冊、雑誌2,500冊の計10,000冊を所蔵していた。開館時職員館長含めて3人であり、図書購入予算年額50万円だった。1967年昭和42年2月1日から館外貸出開始した佐藤観次郎からの寄贈本の影響文学書経済書の割合多かったため、開館後には参考図書科学書児童書などの充実図られた。商店街中にあったため読書環境良好ではなく、また木造建築であることから火災に弱いという欠点があった。採光が不十分であり、時期によっては湿度高かった

※この「元蟹江本通り時代(1966-1969)」の解説は、「蟹江町図書館」の解説の一部です。
「元蟹江本通り時代(1966-1969)」を含む「蟹江町図書館」の記事については、「蟹江町図書館」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「元蟹江本通り時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「元蟹江本通り時代」の関連用語

元蟹江本通り時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



元蟹江本通り時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの蟹江町図書館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS