元行沖による撰疏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 07:37 UTC 版)
玄宗は、序文で注は簡略を旨とし、不足部分は疏によって補うと述べている。この疏を編纂したのが元行沖である。余嘉錫によれば、まず玄宗の講義録である『孝経制旨』が存し、これを簡約にして注が作られ、そして元行沖が制旨の意を受けて疏を制作した。 その後、北宋の真宗の命を受けた邢昺が『孝経正義』を作成し、これが『十三経注疏』の一つとして普及すると、元行沖疏は廃れ、散佚した。
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