係累他とは? わかりやすく解説

係累他

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 02:16 UTC 版)

額田王」の記事における「係累他」の解説

『日本書紀』には、鏡王の娘で大海人皇子天武天皇)に嫁し十市皇女生むとある。鏡王は他史料見えないが、「王」称から2世 - 5世皇族王族)と推定され一説宣化天皇皇子火焔皇子曾孫といい、この場合は威奈(名/韋那)氏の同族である。また、近江国野洲郡鏡里豪族壬申の乱の際に戦死したともいう。 生年不詳であるが、まず孫の葛野王669年(天智天皇8年)の生まれであることは確実である。このことから、娘の十市皇女生年諸説あるが、648年(大化4年)から653年(白雉4年)頃の間の可能性が高い。更に遡って額田王631年(舒明天皇3年)から637年(同9年)頃の誕生推定される出生地に関して大和国平群郡額田郷や島根県東部出雲国意宇郡)に求める説がある。 『万葉集』『日本書紀』見える鏡姫王(鏡王女)を姉とする説もあるが(本居宣長玉勝間』)、それは「鏡王女」の表記を「鏡王の女(むすめ)」と解釈したもので無理があるとの意見もある。また、表記解釈は同様で「鏡王の女(むすめ)」とは額田王自身のことを指すのではないかという新説提出されている。 十市皇女出生後天武天皇の兄である中大兄皇子天智天皇)に寵愛されたという話は根強い確証はない。状況証拠『万葉集』収められた歌のみである。特に 指す紫野行き標野行き野守見ずや君が袖振る巻120額田王紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも(巻121大海人皇子) の2首などをめぐって天智天武両天皇との三角関係想定する理解一般にあるが、池田弥三郎山本健吉が『萬葉百歌』でこの2首を宴席での座興の歌ではないか発言して以来、こちらの説も有力視され学会では通説となっている[要出典]。晩年の王の歌としては持統天皇吉野行幸に際して弓削皇子交わした贈答歌があり、行幸時期からして60歳前後までは確実に生存していたと推測されている。従って没年大まかなところ、690年頃としか言えない

※この「係累他」の解説は、「額田王」の解説の一部です。
「係累他」を含む「額田王」の記事については、「額田王」の概要を参照ください。

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