作品の意味するもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:12 UTC 版)
左翼や右翼の主題は比較的理解しやすいが、中央パネルの画像が意味するものは何か。裸体の群像は祭壇画としては異色であり、議論の的となってきた。 本作品の主題については諸説あり、ドイツの美術史家ヴィルヘルム・フレンガーは1947年に、これがアダム派(アダム教とも) というキリスト教の異端のために描かれたものであり、特に中央パネルはアダム派(en)の言う至福の世界の描写であると発表し、反響を呼んだが、アダム派は本作品が制作されるより半世紀以前にすでに消滅したことが確実視されている。また、本作品はスペイン皇帝に購入されたが、15・16世紀の頃のスペインは異端審問制度の最盛期で、異端を描いた芸術が公式に認められる可能性もなく、ボスも正統派のカトリック教徒であったことが分かっているので、フレンガー説には批判が強い。ボスの他の作品、たとえば『干し草車』では、中央パネルが現世の富とそれを手に入れようとする人間の醜い争いを描くことで「七つの大罪」の一つである強欲を示し、左翼にはエデンの園のアダムとイヴ、右翼では人間たちが地獄の責め苦にあう様子が描かれていることから、本作品においても、中央パネルは七つの大罪のうちの色欲の描写であり、罪を犯すことを戒める意味を持っているのではないかとするのが大雑把な見解である。当時の人々は現在のように絵画を純粋に芸術として鑑賞するのではなく、その中に盛り込まれた宗教的・道徳的寓意を読み取っていたと言われるが、本作品もそうした宗教的な含みを持たせた啓発的なものであったかと考えられる。 しかし中央パネルの主題についてはなお決定的な意見の一致はなく、現世の快楽を象徴的に描いたものとか、ノアの洪水以前の堕落した世界ではないかともいわれる。さらに細かな部分、たとえば右翼の樹幹人間や戦車もどきの耳が何を示しているのか、というようなことも分かっていない。それらの謎が見る者の想像力を刺激し、この絵の魅力の源泉になるとも言えよう。『快楽の園』をはじめとしてボスが描いた怪奇幻想的・超現実的世界は近現代の芸術にも通じる要素を持ち、シュルレアリスム の先駆と見る意見もある。
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