作品の成立と上演
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全3幕で、台本はルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザの2人が書いた。初演は1900年1月14日、ローマのコスタンツィ劇場で行われた。 オペラ台本は、1889年パリで上演されていたヴィクトリアン・サルドゥの戯曲に基づく。プッチーニは同年ミラノでサラ・ベルナール演ずるこの劇に接し、直ちに馴染みの編集者ジュリオ・リコルディにサルドゥから権利を買うよう依頼したが、1893年に作曲家アルベルト・フランケッティのものとなってしまう。イルリカが台本を書き、1894年10月、フランケッティ、リコルディとヴェルディはサルドゥに会い、台本を贈った。ヴェルディはこの悲劇作品にいたく魅せられていたが、この作品の結末を変更しない限り作曲するつもりはなかった。 数ヵ月たって、フランケッティが自力での作品完成を諦め、リコルディはプッチーニに作曲を依頼した。彼は感情を害していたので、ヴェルディの仲介によりこれを受け入れさせることに成功した。プッチーニは『ラ・ボエーム』の作曲を終えた後の1896年から作曲に取り掛かった。リコルディは台本作成のためジャコーザをイッリカの共同執筆者に配した。しかしジャコーザはこの作品が気に入らなかったため、自身の得意とする韻文を思うさま発揮出来ず、サルドゥと何度か論争を起こした。プッチーニも、2人の台本作家にリコルディまで巻き込んだ議論の末、彼らが第3幕に取り入れようとした「ラテン聖歌」をわずか18小節の二重唱「新しい希望に魂は勝ち誇って」にまで短縮させたりした。 3年にわたる困難な共同作業の末、1899年10月に作品が完成した。ローマ市を舞台にした作品のため、初演は同市内のコスタンツィ劇場で行われることに決まった。準備は長期間にわたり、周囲の好奇心をひきつけた。出演は、ハリクレア・ダルクレー(ソプラノ)がトスカを、エミーリオ・デ・マルキ(テノール)がカヴァラドッシを、エウジェニオ・ジラルドーニ(バリトン)がスカルピアを歌った。また、レオポルド・ムニョーネが総監督を行った。マルゲリータ王妃とペロー首相に加え、ピエトロ・マスカーニ、フランチェスコ・チレア、フランケッティ、ズガムバーティなど多数の作曲家が聴衆に加わった。 『トスカ』と前作『ラ・ボエーム』の作品の趣は驚くほど異なったにも関わらず、上演は完全な成功をおさめた。批評家の評価は芳しくなかったものの、聴衆は熱狂的にこれを受け入れた。
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