作品の成立と受容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/25 23:29 UTC 版)
タッソが『エルサレム解放』の創作を始めたのは1560年代半ばであり、当初は Il Goffredo(『ゴドフロワ』)という題であった。1575年4月に完成し、夏にはフェラーラ公アルフォンソ2世・デステとその妹ルクレツィア・デステ(ウルビーノ公フランチェスコ・マリーア2世の妻)に披露した。1580年、タッソの了解を得ない14編のみの海賊版がヴェニスで出版され、1581年にパルマとフェラーラで完全版が出版された。 『エルサレム解放』は大好評を博し、数多くの派生作品を生んだ。ただし、一部の批評家はあまり歓迎せず、特にタッソがふんだんに魔術をもちこんだ点や、語り口の混乱に批判が集中した。死の直前にタッソは、『エルサレム征服』(La Gerusalemme Conquistata)という題名で作品を大幅に書き直したが、この改作は現代の批評家からは酷評されている。
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