作品と遺産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 16:31 UTC 版)
ソポクレスは数々の作劇上の新機軸を演劇にもたらした。彼が最初に試みたことは、三人目の演者の導入であった。この発明はギリシア演劇におけるコロスの役割を大幅に減じ、物語の展開と登場人物同士のぶつかり合いの表現の可能性を拓く大きなきっかけとなった。ソポクレスが脚本を書き始めたころアテーナイの劇作界に大きな影響を及ぼしていたアイスキュロスでさえもソポクレスの後に続き、晩年に向けて自作に三人目の演者を登場させる構成になっていった。アリストテレスはスケノグラピア(skenographia)と呼ばれる背景美術(英語版)ないし舞台美術を最初に導入した人物がソポクレスであるとしている。巨匠アイスキュロスが紀元前456年に亡くなってはじめて、ソポクレスはアテーナイで最も卓越した悲劇詩人となった。 これ以後、ソポクレスは悲劇コンテストで勝利を重ね、ディオニューシア祭で18回、レーナイア祭で6回、優勝した。ソポクレスの作品は構成上の革新に加え、登場人物たちの掘り下げ方に、従来の悲劇詩人たちよりも深いものがあることが知られている。ソポクレスの名声は遠く異国にまで聞こえ、宮廷への出仕の誘いが一再ならずあったが、シチリアで亡くなったアイスキュロスやマケドニアで暮らしたエウリーピデースとは異なり、ソポクレスはこの種の誘いをすべて断った。ソポクレスの作品『オイディプース王』は、アリストテレスが『詩学』の中で、悲劇における最高傑作の一例として挙げており、ソポクレス作品が後世のギリシア人にも高く評価され続けていたことがわかる。 現代まで伝わる7作のうち、制作年代がわかっているのは、『ピロクテーテース』(前409年)と『コローノスのオイディプース』(前401年、ソポクレスの孫が亡くなった後に上演された)の2作だけである。その他の作品については、『エーレクトラー』が上記二作と様式上の類似を見せていることから、おそらく同時期、ソポクレス晩年の作であろう。同様に様式上の要素を検討したところによると、『アイアース』、『アンティゴネー』、『トラキスの女たち』の三作が初期作品であり、『オイディプース王』が中期に位置づけられる作品であると一般的に考えられている。ソポクレスの詩劇のほとんどには、その奥底に宿命論が一貫して流れると共に、ソクラテス的な論理の運び方の萌芽も見られる。これらはギリシア悲劇に長く続く伝統として受け継がれていった。
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