佐賀は何故、本を書いたのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 04:51 UTC 版)
「浅草博徒一代」の記事における「佐賀は何故、本を書いたのか」の解説
本書の構成は第一部から四部までの本章を前書き、後書きを挟んだ骨組みによる。導入部の前書きに続いて、第一部は15歳の「わたし」が悪縁に染まった契機から進められ、その後の人生の変転を淡々と辿り、最後の後書きで伊地知本人が佐賀に語らなかった秘密を婦人の口から伝えさせ物語が閉じている。 主人公の伊地知は1905年、宇都宮に生まれ15歳で深川で石炭商を営む叔父の家に下宿するが、悪所に浸り川並人足の部屋で寝起きしているところを代地の百瀬梅太郎親分(百瀬博教の父)の取持ちで浅草のバクチ打ちである山本修三(出羽屋)の一家で見習いとなる。男としての性根を認められて親子の盃をおろされて「博徒」となった伊地知は、賭博や殺人で刑務所に入り滅多にお目にかかれないような奇っ怪な人物たちとも交際をしている。思想や信条を持たずに自由主義で生きる「やくざ者」である。 そんな人生で会った人間達の、どうしようもない運命の嵐の中でもみくちゃにされながら身を切り刻まれる悲惨な運命を目撃し、土壇場に追い詰められた心の底から響いてくる「本当か、嘘か分からない」話を数十年後の佐賀に語っている。一人の博徒が見た、折り重なっていった「無名の人々の過去の記憶」が本作のテーマである。 郷土史の作家で医師である佐賀が「博徒一代」を執筆した動機の一つに、若年の頃にハワイの病院に勤務した日に重い病気となり異国で土となるかと思いをはせたとき、自分の姿を通して運命を前にした人間の小ささへの感慨が澱として残り、この老博徒の夜話に登場する人間たちへ共振した点を説明している。
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