伊達氏の時代とは? わかりやすく解説

伊達氏の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 06:07 UTC 版)

福島城」の記事における「伊達氏の時代」の解説

1413年応永20年)に伊達犬丸(後の伊達持宗)が懸田定と共に鎌倉公方反乱起こした際に立て籠もった大仏城が後の福島城といわれる大仏城は後に杉妻城(または杉目城)と改められ天文の乱後は伊達氏家臣牧野相模守の所領になっている。後、伊達晴宗嫡子・輝宗に家督譲って隠居した際に米沢城から杉目城移ったこのころ信夫郡現在の福島市一帯)の中心的城郭は晴宗の弟・伊達実元居城大森城であり、杉目城は単に晴宗の隠居としての性格しか持ち合わせていなかった。その後1577年天正5年)に晴宗が死去すると、晴宗夫人・裁院(久保姫)と晴宗末子・直宗が居住した(直宗は天正12年死去)。1591年天正19年)の奥州仕置信夫郡蒲生氏郷領になると、裁院は杉妻城出て、孫の政宗に従って岩手沢(築城の後に岩出山改名)へ去った

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伊達氏の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:43 UTC 版)

梁川城」の記事における「伊達氏の時代」の解説

一説には文治5年1189年)に伊達氏伊達郡入りとともに築城されたともいうが、文献上明確なのは室町時代応永33年1426年以降である。一方発掘調査発掘された遺物の最も古いものは、伊達氏3代伊達義広1185年 - 1256年)または4代伊達政依1227年 - 1301年)のころと推定されており、このころには築城されていたと考えられる伊達氏源頼朝奥州征伐で功を立て源頼朝伊達郡賜った関東武士で、伊達郡入植し伊達氏名乗るようになった伊達郡鎌倉時代以降豊臣秀吉によって16伊達政宗転封するまで伊達氏本拠地だった。梁川城は、4代伊達政依のころから、天文元年1532年)に伊達稙宗桑折西山城へ移るまで、300年弱にわたって伊達氏本城だったと考えられている。城の北方には伊達氏氏神梁川八幡宮があり、また、近隣には京都五山倣って伊達政依創建したとされる伊達五山称される寺院があった。伊達氏伊達郡地頭職、後には奥州探題職などを得たことにより、伊達郡のみならず福島盆地全体伊達郡信夫郡)、あるいは南奥州の要として栄えた伊達氏居城桑折西山城さらには米沢城移った後も梁川城領内の重要拠点として機能し一族や有力家臣城主となっていた。 なお伊達政宗初陣伊具郡宮城県丸森町)での相馬氏との戦いであったが、その時伊達軍拠点となったのが梁川城で、政宗梁川八幡宮戦勝祈願をしたといわれている。また、その政宗田村郡田村氏から愛姫めごひめ)を正室として迎えたとき、花嫁受け渡しおこなわれたのも梁川だった。

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