伊達氏に従った移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 07:51 UTC 版)
町名の変遷米沢岩出山仙台大町 大町 大町 東町 肴町 肴町 南町・大学町 大学町 南町 立町 立町 立町 柳町 柳町 柳町 新町 新町 荒町 「御譜代町」という語は、江戸時代初期にまとめられた「御日市留方」という史料にのみ現れる。 仙台の6町の起源は戦国時代に伊達氏が本拠を置いた米沢城下の6つの町にあった。米沢の町人は、天正18年(1591年)に伊達政宗が岩出山に移されると、これに従って移り住んだ。1601年に政宗が仙台に移ることを決めると、また従って移った。町の地名は移転後も残り、米沢では6町が上杉氏の城下町作りの基礎になり、慶長14年(1609年)か同15年(1610年)頃までは旧態をとどめていた。転出後に一回り小さくなった岩出山では大学町と肴町が武家屋敷に割り当てられた。大学町は、米沢における南町の別称である。 伊達氏が伊達郡を本拠にしていた頃から従っていたとする伝えもある。その時代の伊達郡には大きな町があったとは考えられないので、伊達氏に仕えた武士のうち米沢の城下に住んで町の草分けになった者があるということであろう。戦国時代と思われる年代不明の文書に、町から鉄砲・弓・騎馬といった戦闘員が動員されたことを記すものがあり、米沢では町人と武士が画然と分かれていなかったと思われる。 政宗は天正17年(1589年)に蘆名氏から奪った会津の黒川城に本拠を移し、翌年豊臣秀吉に服属した際に取り上げられて米沢に戻ったが、この時に6町が追随したかは不明である。
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