他方言との対応
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現代の日本語の諸方言のアクセントは、11世紀末から12世紀の『類聚名義抄』に記録されているようなアクセント体系が変化して派生したと考えられている。当時の京都のアクセント体系は高起式と低起式を区別し、上げ核と下げ核を弁別するものだったと考えられている。現代の京都アクセントは高起式と低起式を区別し、下げ核を弁別するものである。また東京アクセントや秋田アクセントは下げ核のみを弁別するものである。 院政時代の京都アクセントは現代のほとんどの方言よりも区別する型の種類が多い複雑なものだった。院政時代の京都アクセントにあった型の区別を「類」という。例えば二拍名詞には五つの類があり、一類、二類、三類、四類、五類のように呼ばれている。現代の諸方言は「類」の区別が統合した姿をしている。また、語が持つ母音や子音などの条件によって類が複数の型に分裂している例もある。 秋田のアクセントは、名詞の類の統合の仕方などが東京などと異なり、東京式アクセントの中の「外輪東京式」に分類される。一方共通語アクセントは「中輪東京式」である。外輪東京式の原型に近いものは大分県や愛知県豊橋市などに分布する。秋田のアクセントは外輪東京式の原型から、核の直後の音節が広母音(ア・ウ・オ)を持つ場合に限り核の一音節後退を起こした変種である。
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他方言との対応
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「秋田弁のアクセント」の記事における「他方言との対応」の解説
現代の諸方言のアクセントや、院政時代頃からの京都の文献に記録されているアクセントの対応関係から見て、11世紀末から12世紀の『類聚名義抄』に記録されているようなアクセント体系が変化して、現代の日本語の諸方言のアクセントが派生したと考えられている。当時の京都のアクセント体系は高起式と低起式を区別し、上げ核と下げ核を弁別するものだったと考えられている。現代の京都アクセントは高起式と低起式を区別し、下げ核を弁別するものである。また東京アクセントや秋田アクセントは下げ核を弁別する。なお、秋田に隣接する青森県や岩手県沿岸北部(雫石町など)には昇り核を弁別するアクセントがある。 院政時代の京都アクセントは現代のほとんどの方言よりも区別する型の種類が多い複雑なものだった。院政時代の京都アクセントにあった型の区別を「類」という。例えば二拍名詞には五つの類があり、一類、二類、三類、四類、五類のように呼ばれている。現代の諸方言は「類」の区別が統合した姿をしている。また、語が持つ母音や子音などの条件によって類が複数の型に分裂している例もある。 秋田のアクセントは、名詞の類の統合の仕方などが東京などと異なり、大分県大分市や愛知県豊橋市の方言アクセントなどに近い。東京式アクセントは「内輪東京式」「中輪東京式」「外輪東京式」に分けられるが、秋田や大分、豊橋のアクセントは外輪東京式に分類され、東京・広島などの中輪東京式、名古屋・岡山などの内輪東京式とはかなり早い段階で分かれたと考えられる。外輪東京式の原型に近いアクセントは、岩手県沿岸中北部、新潟県中南部から長野県(北部及び最南端)、静岡県西部から愛知県東部、鳥取県西部、島根県中部、大分県から福岡県東部に分布している。秋田のアクセントは大分や豊橋のようなアクセントから、核の直後の音節が広母音(ア・ウ・オ)を持つ場合に限り核の一音節後退を起こした変種である。従って語の持つ母音の条件による類の分裂を起こしている。このようなアクセントは秋田県の他に、北海道のほとんど、青森県、岩手県(沿岸中北部と南部を除く)、山形県西部、新潟県北部までと、飛んで島根県東部の出雲地方に分布している。にかほ市旧象潟町沿岸南部から山形県遊佐町沿岸北部にかけて、この核後退を起こしておらず外輪東京式の原型に近い地域がある。
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