他方面の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 01:17 UTC 版)
ドイツ軍は大戦勃発とともにシュリーフェン計画を実行し、ベルギーに侵攻、ここを通過することで第1軍・第2軍・第3軍を北フランスへ侵入させることに成功した。 一方、フランス軍も戦前に立案された第17号計画(英語版)に従って第1軍・第2軍がアルザス=ロレーヌ地方に配置され、第3軍はアルデンヌの森を通ってドイツ領に侵攻していた。第5軍はベルギーを援護するため、フランスとベルギー・ルクセンブルクの国境近くに配置されていた。第4軍は戦略予備とされたが、実質的に第3軍を補佐する位置にあった。 ドイツ軍のベルギー侵攻に伴ってフランスの各軍は進撃を開始した。フランス第1軍・第2軍は、ドイツ第6軍(ループレヒト王太子)の防衛線に銃剣突撃を敢行したが、機関銃に薙ぎ倒される結果となった。ドイツ第6軍が防衛線から出て逆襲に転じると、第2軍は敗走した。第1軍は持ち堪えていたものの、8月20日にフランス参謀総長ジョフルから、第1軍・第2軍に対して撤退命令が出された。 アルデンヌに向かったフランス第3軍・第4軍はドイツ軍の中央部を突破して左右両翼の連絡を断つことを目的としていた。彼らが進撃を開始したのは8月21日であるが、相対するドイツ第4軍(英語版)(ヴュルテンベルク公爵)、第5軍(ヴィルヘルム皇太子)はフランス軍に先立ち、8月19日に進撃を開始していた。その為、フランス軍は奇襲をかけるつもりのところを逆に奇襲され、撤退する結果となった。フランス第3軍、第4軍はフランス領内まで後退すると応急的な陣地を構築し、侵攻するドイツ軍に対して防御戦を行った。
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